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「子供がいなくて後悔している」という、自分に満足できない大人たち

最近の、
「子供を持たない選択をして、歳をとってから後悔している」
「DINKsを希望してる人はよく考えてほしい」

という一見若い人への示唆、または助言。
これ何となく違和感を持って読んでいたんだけど最近腑に落ちてきた。
一言で言えば、

『自分に満足できない大人』

なんだなってこと。自分の選択のケツを拭けない大人。
そもそも子供がいても「人生楽しい人」と「人生楽しくない人」がいるのに、なんで自分が前者になれると思ってるのか?も謎だし。
「後悔している」と聞くと、こうすれば良かったという前向きな自省なのかなと思うけど、本当は「自分の選択を受けいれる度量がない」と同義だと思う。

自分で自分を幸せにしなきゃ。
自分を不幸せなところに置いたままにしない。
自分で選択したことの責任を取る。
大人の責務って、この二つくらいだものね。

ジェーンスー「ひとまず上出来」

ねえこれなのよ。
「人生つまらない。子供を持てば良かった」の違和感ってまさにこれで、

→選んだ道を正解にする度量がない
→今の自分がなんでこうなのかを理由付けるために過去の選択を引っ張り出してくる

そういうとこじゃないの?
って思ってしまう。
何を選んだって足りないと思えば足りない。
現状の不満に理由を求めたくなったとき、『子供がいないから』に擦り付けたらそりゃあ楽だよね。

過去の選択は人生にとって重要な要素だけど、振り返ってどうすればよかったのかを今後に活かすためにしか『後悔』は意味ないし、
過去の選択を含めいくつもの分岐を経てきて今があるのに、「過去の選択のせい」にするのは自責に見えてその逆。過去の自分への責任所在の擦り付け、お手軽な他責だと思う。
そういう思考の人が子供を持ったとして、今より幸せになれると思ってるのが私は不思議でしょうがない。

今書いてるnoteのAIですら知ってる


私は歳取って色んなことに興味が薄れるとか好きな事が減るとかがめちゃくちゃ嫌なんだけど、それを『子供がいないから(つまらない、体験ができない)』に起因させるつもりさらさらない。

夫と歩く夜の散歩も、少し涼しくなってきた風も、去年と同じで全然違う。
秋は銀杏をパチパチ剥いて、春になればふきのとうや筍を休日に天ぷらにして昼から飲んで。
雲の形に名前つけて歩くのも夫とならいつだって楽しい。
世の中こんなにも面白い事に溢れてて何歳になっても新たな体験ができる。

別にめちゃくちゃ人生さいこー!って思ってなくても自分に満足して選択を受けいれる事は大人ならできて然るべきで、何選んだって不満なんて見つけようと思ったら出てくるよ。
誰だって大したことない人生だよ。でも自分にとってはかけがえがないってだけ。

子を持たない選択をする時に想像するよね。子供がいなければ新しい体験とか与えられる感動とかライフイベントや自分の成長点が少なくなること。
想像でもそうなのに実際に子を持ったら想像以上の『感動』があるかもしれなくて、
同時にそれは逆に『苦労』も想像以上の事があるとも言える。
そういう余白の部分も含めて、想像通りに進まないのが人生じゃない。

よく言われる「子供を持った方が良かったと、気づいた時にはもう遅い」に関しても、
子供を産まなければよかったと、気づいた時も同じくもう遅い。

アドバイスされるまでもなく、今の世代のDINKsは後悔してる人達よりもよっぽど考えてるよね。というのが私と周りの肌感覚。
後悔しない人生を!じゃない。後悔してもその選択も自分だと受け入れられるか。


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