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子供のいない夫婦2人の生活

明確な選択子なしじゃないけど妊活には程遠い意識でここまできた私達夫婦。「積極的に欲しいと思えない」というのがほんとのところ。このまま選択せずにリミットを迎え自動的に子なし夫婦として生きる予定。その前に私達にとって子供がなぜ現実的でなかったか、理由を挙げてみた。

「夫婦2人の生活が楽しすぎる」

今の生活はめちゃくちゃ快適。休日は昼まで寝て、外食して、夕方また飲みに出かけて、とにかく自由だし何の制限もない。国内旅行も海外も好きなだけ行ける。お金も時間も自分達のために使える。

夜の深い時間帯の遊び、朝寝できる怠惰さは、ただ「時間がある」というだけじゃない、縛るもののない精神的余裕も含まれる。

「自由度が高く制限が少ない」

将来的にも経済的にもスタイリングが自由。居住地を好みで決められるし転勤転職のハードルが低い。
生活における自由度が高くしなければいけない事が少ない。2人とも疲れてる時なんもしないで思う存分サボれる。一日中寝てられる。

「何を大切にするかの照準」

いまは激務の夫を支える事が至上命題の生活で、子育てにおいて夫に協力してもらわないといけない側面が現実的でない。残業、休日出勤、出張が多い(海外含む)となると今の身軽さがないと自分のご機嫌とりすら難しい。◯◯して欲しい、という項目が増える事が望ましくない。

「デメリットが多く感じる」

考えれば考えるだけ出産・子育てに関するデメリットが多い。健康を失うリスク、経済的圧迫、対人関係の面倒、夫との関係が変化する不安etc…夫と一緒に子供を育てるという具体的な展望のない私には正直あまりポジティブなイメージが抱けない。

…とまあそんな私達でもこれでいいのかモヤる事もある。上記のどれも「子供が欲しい」という強い気持ちがあれば払拭できるものだし、でも逆を選ぶには子なし先輩達のポジティブな情報やロールモデルが少ない気もする。

→マジョリティから外れることの不安
→年齢的リミットによる謎の焦燥感
→子供がいる事が絶対的幸せという価値観
→既婚子なしの世間的ポジション

社会という集団で生きる私達にとって、マジョリティから外れると世間的ポジションの座りが悪くなんとなく身の置き所がない。例えばLGBT、例えばDINKs、独身。結婚して子供を産むのが「普通」という価値観から外れて生きる事になる。

でも縛られているように感じる世間の価値観は流動的。

私達はどこに身を置けば快適なのか?

「全員なかよく一緒」から「多様化」を認める過渡期であるいま。「幸せ」の形は人それぞれ。

私たちは「積極的に欲しくない」という消極的なマインドと共に無理なく生きていこうと思う。
国内海外たくさん旅行に行って、美味しいもの食べて、細やかな生活をして、夫のことだけを見て、年老いて2人でお茶を飲む。ずっと2人の世界を生きていけばどんな風景が見えるんだろう。

誰もが1つの人生しか生きられない。
子供がいる素晴らしさは私には知りようがないけど、子供のいない夫と妻の関係がどのように変化していくかも他方には知りようがないこと。私たちは、子供という「かすがい」がなくても、お互い一緒にいたいと思い続ける夫婦でいたい。

夫婦2人でしかできない楽しいこと、幸せなこと、きっとあるはず。子供がいないからこそ見える世界や視点の模索中。


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