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主婦の生きづらさとは?

先日友達と話しててこんなひと幕があった。

独身の友人「結婚しないの?って言われる」
子なし主婦の私「結婚したら次子供は?って言われる」
子持ちの友人「1人目産んだら次2人目は?攻撃が来る」

三者三様に爆笑したけど、もうこれはどんな立ち位置にいても生きづらいと思えば生きづらいのかもねと思った次第で、どーでもいいやって思う私にとっては爆笑案件だったのだけど。

専業主婦の生きづらさ

NHKの番組で取り上げられ賛否両論を呼んだ「専業主婦の生きづらさ」

「毎日何してんの?」「毎日暇じゃない?」と言われるのが辛いと話す主婦。社会からの疎外感やワーママのコミュニティに属せない孤独を語り、「毎日やる事はあるし家事も育児も忙しいのに」と話すのを聞いて、

別に忙しくなくても良くない…?

どこに行っても「今日はお休みですか?」と聞かれるって暗い顔(演出)で言ってたけど、

「毎日休みです✌️」で良くない…?

マウントと捉えれば、専業主婦も忙しい!立派な仕事です!と訴えたくなるのも分かるけど、相手はお天気の話くらいの興味で話題を振ってる事が多い。今日のお天気が良かろうが曇っていようが、私が仕事をしてようが専業主婦だろうが相手にとってはどーでもいいことじゃない?ほとんどの場合。

主婦は立派な仕事です?

主婦も立派な仕事ですって言うけど別に立派じゃなくてもいいと私は思う。
家事労働の評価額が年間300万とか、主婦は生産性がないとか、家事に対価がないとか、もうその論争は正直お腹いっぱい。別に社会や他人から評価されなくても、もっと言えば見える客観的評価なんてなくてもいいと思う。

働いていようがいまいが、社会でどのポジションにいようが家庭内に収まってようが、そんな外から見た自分像に気にする価値があるとは思えない。夫と私の間で完結してればいい。

結局、自分次第という落とし所

気持ちの持ちよう、と言ってしまうと身も蓋もないけども、生きづらさの正体はなんなのか、どこから来るのか?問いかけたい。

誰も他人の人生選択をジャッジする資格なんて持ってない。「働かないの?」「毎日なにしてんの?」って問いかけは当たり前に単純興味であり、当たり前にただの世間話であるはず。気まずい空気になるとしたら質問者のトークスキルに難あり。スキル上げて帰ってきてね。

そもそも私達は生きているのでこれはもう立派と言わざるを得ない。独身も主婦も部長も社長も、子持ちもLGBTもDINKsもひとりの人間で、誰かの大切な人で、集団に属したり家庭に収まったりしてる。かわいいね人間。

自分で自分を許容する

許容する事は肩書きなどのラベルを剥がした先の感覚にあると思う。その人がそのままでいい感覚。誰に許されなくても、誰に評価されなくても、自分で自分を許容できたら生きづらさは霧散する。専業主婦って生きづらいよねって共通認識を集団で言い合って確かめて深めるやり方はうまくない。同調圧力のような呪い生産機だと思う。

自己承認力とか受け取り方とか本人次第とか言うと辛いと思う方が悪い論理になりがちだけどそうじゃない。生きづらさはどこから来るのか、問いかけて見つけてほしい。


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