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2人暮らしのかけがえなさと、メリットデメリットで語れないもの

「子供は損得を超えた所にあって、子なしは取捨選択をしてる」って空気に触れ、子供を持たない人生も損得を超えたかけがえなさに基づいてると思った話。

子供を産む事産まない事の、メリットデメリットで語れないもの

双方よく羅列されるし、私にとって子供を持たないメリットってのは「生活の余裕」や「好きな時に好きなことができる」みたくさんあるんだけども、損得を考えて子供のいない方を選んだのかと言われれば本当の心とは少し違う。

私の場合、

メリットとデメリットを天秤にかけて選んだのではなく、

まず欲しい欲しくないのふわっとした「気持ち」が先にあって、その気持ちの発露までの道にメリット・デメリットが存在したのだと思う。

デメリットもリスクも、「子供ほしい」という気持ちがあれば乗り越えられるのものだと思うし、
逆に「子供ほしくない」という気持ちの元にはどんなに子供かわいいよと言われようと、どんなメリットも効いてこない。これは真逆だけど同じ事だと思う。

私の「夫と2人がいい」「どちらかと言うと欲しくない」気持ちの発露までの道で、育った環境や体調や、子供へのネガティブイメージ、子育てしにくい社会、などが影響して理由付けとして存在しているのは確かだけど、
こんなメリットがあるから産みたい、こんなデメリットがあるから産みたくないという分かりやすいものではなかったように思う。
気持ちはそんなに頭で割りきれないというか、そんな単純なものではないと思う。私の場合それがやりたいことであればどんなデメリットがあろうとやっていた。

夫婦2人暮らしのかけがえなさ

子を持つ人にとって子供はメリットデメリットを超えた所にある。もちろん当然そうなんだろうなって思う。そして私も同じように、損得を超えた所にあるかけがえなさを感じて夫と2人暮らししてる。

私に子供のかけがえなさは想像しても本当の意味では決して分からないのと同じで、子を持つ人は2人暮らしのかけがえなさはおそらく本当には分からない。私のそれはその人の現在から子供を引いた"引き算"ではないからだ。

私の場合、時間や金銭的な自由などのメリットは単なる側面でしかなくこの生活の本質とは程遠い。「子供の尊さ」が条件や状態によるものでなく遥か損得を超えた所にあるのと同じで、「2人暮らしの尊さ」は言語化や理由付けできない所にある。

人には人のかけがえなさがある。それは目に見える形じゃないかもしれないし、子供のように成長する生命や宝物じゃないかもしれない。穏やかな時間だったり、それを感じる心の余裕だったり、可視化できなくて本人すらよく分からないかもしれない。
それを他人が軽んじる事はどうしたってできない。

何を日々手に入れるか、その可処分所得

私が子供のいる人生を知らないのと同じく、子供がいる人は「子ができるまでの2人暮らし」しか知ることはできない。それは私の『夫と一生2人暮らし』とは違う。
私も独身の時はあったけど、今現在独身の友達の楽しさは知ることができないのと同じ事だと思う。

今の生活から「子供がいなかったら」と想像する事も、「子供がいたら」と想像する事もただのファンタジーでしかないし、ふわふわした空想といくつもの分岐点を超えてきた現在とを比べることはできない。本当に比べたいなら自分の人生を2周するしかない。

子供がいて、新しい命を前に共闘する関係性は夫の新しい顔をたくさん見れるかもしれない。
子を持たず、何十年も2人でただひたすら向き合う関係性は夫のスパダリっぷりが限界凸するかもしれない。どちらも比較できず愛おしい。

人生には失うものがあり、手に入れられないものがあり、かけがえのないものがある。
私の「子供のいない事」は引き算というよりも、「2人きり」の必要不可欠条件だったりする。何を日々手に入れるか、その可処分所得については人によるところが大きい。

自分の知りえない人の人生の尊さに鈍感でいたくないし、私の知らない世界はもっと面白いし素晴らしいかもしれないって思っていたい。知らない価値を低く見積もった時点で世界はつまらなくなってしまう。
私もまだ人生の途中だけど何かを強調することなくフラットに、ただたくさんのものを手にしてる事に気づいていたい。



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