少子化考3「誰も少子化のために産んでないし、私もお国のために産むような借りはない」
『結婚妊娠出産を選択する時に国や社会の都合は関係ないし、関係があってはいけない』
これは先日Twitterで拝見した一部の隙もない美しい言語化で。
たまに「少子化になるから産むべき」とか「産まないのは身勝手」ってのを見かけるけど、これって何のために言ってんの?って思う。
だってそれ言われて、「じゃあ国のために産もう!」ってなる訳ないじゃないですか。
何のために言ってるんだろう。
「出生率を上げよう」というワードのやばさ
誰だか昔の政治家の「最低2人は子供産んで」発言とか、女性の社会進出による晩婚化で少子化とか。
あたかも『最近の人は結婚しないし子供も産まないから』みたいな雰囲気醸し出してるけど、出生率は1975年辺りからずーっと低下し続けているし社会構造はとっくに破綻している。
「出生率を上げよう」
じゃないんですよ。
そろそろ「出生率を上げよう」というワードのやばさに気づいてもよくない?
一人っ子政策をみても明白なこと、『産め』も『産むな』も人口を操作する事は現社会の倫理観では許されない。「出生率を上げよう」はその人口操作意識に近い。
「出生率押し上げより男女平等を」国連人口基金
この提言はOECDの『ジェンダーギャップ指数が高いほど出生率が上がる』という分析にリンクする。(※ジェンダーギャップ指数が高くなれば=男女平等が進めば出生率が上がる、という指摘)
出生率は上げたり下げたりするものではなく、産みたい人が産める社会が構築できてこその結果の数値でしかない。評価値と言ってもいい。
誰も少子化のために産んでないし、私もお国のために産むような借りはない
日本においてきちんと納税して暮らしている私達、お国のために産まなければならない借りなんて身に覚えがない訳です。
個人選択に社会圧があってはならないし、社会へのある程度の努力義務はあるとしてもそれは出産や結婚を強要されるものであるはずはない。
産みたい人が困難なく産める、産みたくない人は産まない。他人に褒められる事も貶される事もない個人的な選択。
子供を産んで「日本のためにありがとう!」って言われたら気持ち悪いと思う。「産まない」事についてのご高説もそれと同じ。バブルを食い潰して新たに発展させる事ができなかった層が少子高齢化という社会問題を現役に丸投げする構図もなかなか地獄だと思う。
『結婚妊娠出産を選択する時に国や社会の都合は関係ないし、関係があってはいけない』
ねえ、ほんとこれでしかないのよ。