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ぶつかりおじさんが集まる、新時代コミュニティ

理不尽な出来事へ怒ることを諦めていた自分へ

私が「マッチョのコワモテおじさん」だったら?

いつも道路でぶつかってくるおじさんは、たぶん避けてくれる。
電車で痴漢に遭うこともきっとないだろう。

昨日は、知らないおじさんに足を踏まれた。
人の足を踏んだくせに、彼は笑っていた。

ああ、人がいた
私の顔を見て、そんな風に言った。

愛想笑いをしないように、口をつぐんだ。
反射で「すみません」と口から漏れそうになるのを、なんとか飲み込んだ。
だって、何も面白くないし、私には謝る理由がない。

でも、「謝罪してください」とは言えなかった。

もし私が「マッチョのコワモテおじさん」だったなら、あの人の態度は違っていただろうか。

涙が出そうになった。

すれ違いざまに肩をぶつけてくるおじさんも、
帰り道に傘で殴ってきたあのおじさんも、
新幹線の肘掛けを独占して私を無視するおじさんも――

私は許していない。

友人は、言った。
それで怒ったら、おじさんの思うツボじゃない?

確かに、あのおじさん一人ひとりに私が怒り続けたら、面白がられるだけかもしれない。

でも、私が戦っているのは点じゃなく、面だ。

社会人がストレスを溜め込みすぎない構造を作ること。
同世代の男たちが「おじさん」にならない仕組みを考えること。

そう言う私に、友人は、言った。
おじさんのぶつかりコミュニティがあるといいかもね。『オレ今日ぶつかるから、お前も明日ぶつかって来いよ』みたいな」

そう、そういうこと。
(これが良い解決策かは置いておいて、違和感を放っておかず、社会の改善策を考える姿勢に拍手喝采なのだ)

仕組みで少しずつ理不尽を解きほぐしていきたい。

女として生きているだけで、理不尽な出来事にたくさん出くわす。

でも、次世代ができるだけ同じ経験をしないように。
同年代の「おじさん予備軍」が、ぶつかりおじさんにならないように。

「怒っても無駄だ」と思う若者がいなくなるように。

私は小さく怒り、発信し続ける。

怒っていいんだよと、
ミソジニー*も知らずに小さくうずくまっていた、あの頃の自分に伝えたい。

ミソジニー…女性に対する嫌悪や蔑視を意味する。
無意識に女性を見下している状態もミソジニーの一形態。

https://www.plan-international.jp/social_issues/misogyny/
来世、まちがって人間になっちゃうなら、
優しいマッチョのコワモテおじさんになりたいな

うすやまこむぎ

ここまで読んでくれたアナタにちょっと補足⏬

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