愛がなんだ

「好きなひと以外、どうでもいい」

全部が好き。
でも なんでだろう、
私は彼の 恋人じゃない。

予告を観てから絶対に映画館で観るぞと決めていた『愛がなんだ』をファーストデーである今日、観に行ってきました。
事前に予約をして行ったのですが、映画館に着いてみたら前列含め完売になっていました。テアトル新宿でも立ち見席ですら売切れになっていましたね。すごい。


猫背でひょろひょろのマモちゃんに出会い、恋に落ちた。その時から、テルコの世界はマモちゃん一色に染まり始める。会社の電話はとらないのに、マモちゃんからの着信には秒速で対応、呼び出されると残業もせずにさっさと退社。友達の助言も聞き流し、どこにいようと電話一本で駆け付け(あくまでさりげなく)、平日デートに誘われれば余裕で会社をぶっちぎり、クビ寸前。大好きだし、超幸せ。マモちゃん優しいし。だけど。マモちゃんは、テルコのことが好きじゃない・・・。
公式HPより



テルコの生活の中心はマモちゃんだ。

「体調悪くて…まだ会社にいるなら良ければ何か買って来て欲しい」とマモちゃんから電話を受けて「ちょうど会社出るところだよ」と言いながら家のソファーからマモちゃんの家に向かってしまうテルコに「おいおい」と言いたくもなってしまう。

けれど、テルコを責めることなんて誰にも出来ない。

世間一般的に言えば「重たい女」であり「都合の良い女」であり「セフレ」ということになるのだろう。だけどテルコのマモちゃんへの気持ちはそういう一言で片付けたくはない。
テルコだけじゃなく、いわゆる「重たい女」や「都合の良い女」や「セフレ」だってそうだ。周りがそう呼んでいるだけで本人の中には様々な感情がある訳ですよね。便利だからそうカテゴライズされているっていうだけで。

そういう人たちの心情を丁寧に「恋愛」として汲み取っている映画だったのかなあと思います。


テルコはマモちゃんから呼び出されればすぐ飛んで行く。
会社のパソコンより、いつ来るか分からないマモちゃんからのメールばかりを気にしてしまい、会社だってクビになる。
「あ、お酒無いのか」と一言マモちゃんが漏らせば悩む間も無くアウターを手に取り「買って来るよ」と深夜2時に家を飛び出して行く。

マモちゃんの恋人でも無いのに、だ。

だけどそんなテルコを岸井ゆきのちゃんがすごく愛らしく演じてくれています。目線が、睫毛が、上がる口角と頬が、全身でマモちゃんを好きだと言っていた。全身でマモちゃんに恋をしていた。

テルコにだってどうしようもないんだ。
マモちゃんを好きなことに理由なんてないのだから。

全身でマモちゃんへの好きな気持ちを感じられるテルコだったからこそ、本来気持ちなんて分かるはずのない田中守のことを、わたしは最後まで嫌いになることができなかった。岸井ゆきのちゃん恐るべし。


さて、問題となるのがマモちゃんこと田中守である。

「テルコのことを散々振り回しておいてお前がそれ言うか!」と言う台詞がいくつも出て来る。わたしは映画を観ながらテルコと一緒に何度も何度も傷付いた。それなのに、だ。先ほど書いたようにどうしても嫌いになることはできない。

マモちゃんの言動の中にちょっとでもテルコへの愛を探したくなってしまうのは惨めな行為なのでしょうか。これは友達から一線を超えているよね?と思う言葉や行動を見つけたくなってしまうのは無駄なことなのでしょうか。

テルコだってそうだった。「付き合ってると、思う」と言う台詞が途中で出て来るように「付き合おう」と言葉にしなくても付き合っているんだと勘違いしてしまう(テルコだからという訳ではなく、きっと半数以上の人はそう思うよね?)言動をマモちゃんはとっている。

ねえ、マモちゃん。
そこにはほんの少しも愛は無かったの?

そしてこの役を演じる成田凌さんが絶妙すぎる。
話題の「追いケチャップ」のシーンは思わず息が止まった。これ、アドリブなんだって?これをアドリブで演技するってどういうこと?成田凌、とんでもないひとだぞ。

ひどいことをしている男だよなあと思いつつも終盤のマモちゃんを見ていると「この人はこれが自然体なの?」と思ってしまうんだからずるい。そしてそう思ってしまったらなんだかやっぱり嫌いになんてなれないんだ。ああ、マモちゃん、やっぱりずるいよ。


テルコと同じような立場のナカハラ君もまたキーパーソンであり、ナカハラ君の恋愛にこそ共感をする人も多いのではないでしょうか。

ナカハラ君は、好きな人が寂しい時に「ナカハラがいたなあ」って思い出して呼び出してもらえる存在になりたいと言う。好きな人が他の誰かを呼び出しても構わない。ただ全員つかまらなかった時に自分が行ければ良いのだと。

それを聞いて「ナカハラ君、気持ち悪いね」と言ったテルコの「わたしはマモちゃんになりたい。マモちゃんのお母さんでも妹でも良い。いとこでも良い」って言う台詞がまた良いんだよなあ。

このふたりの途方もない気持ちどうにかしてあげて欲しい。


「好きな人以外、どうでも良い」とテルコは言うけれど、テルコもナカハラ君も自分自身を大切に出来ていないんだよね。相手を大切にする気持ちがそのまま自分のエネルギーになっている。依存ともちょっと違う気がする。

「自分を大切にしていない」というのと「相手を大切にする」というのが必ずしもイコールにならないのが残酷ですね。



愛って、なんなんだろうね。ほんとうに。

「幸せになりたいっすね」

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大麦こむぎ
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