同性カップルが子供を持つことはエゴなのか。
今日はこんなお題。
極めて完全に個人的な見解です。すごく偏っていたら申し訳ない。当事者であることは一旦忘れてください。
まず、答えから。
答えはイエスである。
同性だから、自然に子供は来てくれません。誰かにお願いしたり、場合によっては精子や卵子を買ったり、産んでもらったりして子供と出会える。
これをエゴじゃないとしたら何をエゴというんか。
話しながらエゴの意味がわからなくなってきたので、しらべてみた。
エゴイズムの略、自己の利益を重視し、他者の利益を軽視、無視する考え方。一般的にエゴと言ったら上記の自我ではなくこの意味で使われることが多い。
だそうです。
協力する人たちの利益になることって想定されないから、エゴでしょう。
あと、子供に対して「かわいそうじゃん」って文脈で言われることが多い。いじめられたり、出自に悩んだりするでしょ?だから親のエゴでしょ!
答えはイエスである。
はいそうです、その通りでございます。
でもうーん。
程度の差はあれ、子供を持ちたいと思うとき、将来の子供に対してはみんなエゴだと思うんだよね。
どんなに裕福でも、性格が良くても、環境が整ってても、その子にとって最適かどうかは出会ってみないとわからない。
その子にとって最低の親かもしれないし、性格的に会わないかも。
わからない状態で、子供を持とうとすることは誰にとってもエゴだと思う。
まぁ、周りと違うってことで、悩む可能性があるよなってのは、もちろん同意できるから、エゴだよねーって言われたらそうだねー。
でもそうならないように精一杯人生かけて頑張ります、としか言えないな。
あとね、
子供を作る、って言葉が嫌。
なんか嫌。いつも。
子供は所有物じゃないから。って思う。
不妊治療などの科学が進歩してどうやって妊娠するかわかってきたりして、作るって感覚にちかくなってるのが嫌。
子供は偶然に任せてやって来てくれるものだと思ってる。
同性でも異性でも同じ。
来てくれるところには来てくれる。そうでないこともある。そういうもんかなと思ってる。
つまりエゴだけど、もし偶然来てくれたら、命かけてその子が不幸にならないように頑張りますよ!と言う覚悟が1番大事なんじゃないでしょうか。
変かな。