恋愛や結婚は“自尊心”を満たすためではない。パートナーと『幸せを築く』ためのもの。
昨日は村山由佳さんの『ラヴィアンローズ』を読んだ。
人は「何のために」恋愛や結婚をするのだろうか?と考えさせられる小説だった。
現実的にはありえない話なのだろうけど、近しい出来事は沢山あるだろうと思える。
30代後半の主婦が主人公。夫は仕事もプライベートもズタボロなデザイナー。
主人公の主婦は夫の自尊心を満たすのが目的かのように、毎日夫の暴言を受け止めたり、自由を制限をされて生きている。時にはDVまがいのことも。それなのに、夫の当たりが強いのは”自分のせい?と自分を責めてしまう程、間違った優しさへ苦しむ日々。
何か生きがいを見つけたい、とガーデンニング教室を開いたら大ヒット。しかし、夫は妻が活躍することが許せず様々なことを制限する。
そんな中、仕事の関係で優しい年下のデザイナーと出会い、恋をする。しかし、その恋も真実の愛からではなくデザイナーが自尊心を満たしたいがためのものだった。
あらすじはここまでにして、感じたことを書いていきたい。
あまり男性だから、女性だからというのは好きではないので、人としてありそうだなってことは「他者を自分の自尊心を満たす道具」のようにしてしまうこと。
特に恋愛や結婚では起こるのかもしれない。
「憧れの人と結婚できたから幸せだ」
よくこのような発言も聞くが違和感を感じる。それは相手を高級アクセサリーのように“自分の気持ちを満たす所有物”に捉えてるように感じるからだ。
私も学生の頃はそのような気持ちがあったと思う。
可愛い子と付き合うことが自分のステータスをあげる。付き合った数や経験人数を競う。
結婚を決断した時の気持ちもどうだっただろうか?
付き合いが長くなり、そろそろタイミングだからくらいにしか思っていなかったかもしれない。
(もちろん幸せにしたいって気持ちはあった)
でも今になって思うのは、恋愛も結婚も“相手に委ねる”ものではない。
「お互いに協力して幸せな時間を作っていくもの」
ゴールではなく“スタート地点”に立つことなんだ。
ゴールだと思うから、自分の思い通りに行かない時に相手を傷つけてしまう。
人は1人では生きていけないって言葉があるけど、人生を共にする家族がいることは心の支えになる。
けど、会社と同じように所属していれば皆んなが幸せになれる訳ではない。
一人一人が幸せになれるように働きかけ、協力することが必要なのだと思う。
長くなったが、『ラヴィアンローズ』を読んで恋愛や結婚の目的を考えることができた。