「大人の涙」はとっても素敵
昨日、自分が勤めている会社で思わぬことが起こった。
それは、普段お世話になっている上司が僕の前で『涙』を流したのだ。
その上司はとても強い女性の方。メンバーからは少し近づきにくいオーラすら漂っている方だ。そんな人が2人で会議をしている最中に弱さを見せる場面があったのだ。
実は会議の前にひと悶着があった。その上司と別の上司が意見の食い違いから口論になっていたのだ。詳しい事情はわからないのだが、とにかく場が凍りつくほど激しい議論を交わしていた。
激しい議論を交わすこと自体珍しいことでもあるので、相当なことがあったのだろうなって思う。そして、涙を流していた上司は普段から口調が強めな方。なので、意識的にではないにしろ、威圧的な雰囲気を作ってしまうので、自分の思いが意図通り伝わらなかったり、相手とのコミュニケーションが円滑ではなくなることもあり、とても損しているのだ。
今回もそんな雰囲気がみられた。
つまり僕との打ち合わせは、気持ちが沈んでいる状態からスタートしたのだ。
元々僕が育児休暇から戻り、「最近どうなのか?」といったことへの
ヒアリングの場だったのだが、上司からの「先程起こった出来事」への
相談が全てになった。
そして、「私の口調が悪かったのかな…」と反省の気持ちが高まった
ところで、上司の目から涙がポロポロと流れた。
会社の上司となると普段は自分たちよりもたくましく、
仕事もでき、精神的にも強いところしかみたことがなかった。
大半の人がそうではないだろうか。
そして、私達の見えないところで、想像以上の苦労をしている。
当たり前のように下の世代は守られて働けていることも多い。
でも、そんな力強い上司の『涙』をみて、何だか「ホッとした気持ち」も湧いてきた。恐らく、上司も自分たちと同じように辛さを感じる時があるのだ。「同じ人間なんだな」っていう安心感。
僕たちは大人になってから「涙」を流すことって少なくなったと思う。
それは、辛さに対する耐性がついたため、子どもの頃に泣いていた出来事に対して大人になれば泣かずに耐えられるようになるから。
そして、もう一つは「弱さをみせる」ことを我慢するからではないだろうか。
大人になると、容易に人前で涙を流すことが憚れる。それは、涙を流すと弱い人間だと思われるから。涙を武器に使うあざとい人間だと思われるから。涙を流すことに少なからずマイナスのイメージも紐付いている。
でも、今回の上司の涙はマイナスな印象だっただろうか。
僕は素直に、「かっこいいな」って思った。
それは、部下の前で涙を流すのは恥ずかしさがある。それにも関わらず、
自分の感情を素直に表現できる純粋さ。
涙を流すほど、本気でぶつかって苦しんだ姿がみられたこと。
何だか「一生懸命に生きている」って気持ちが伝わってきて、人間らしさが魅力的に感じたのだ。
人ってスマートに何でも出来る人よりも、一生懸命に頑張り、苦労している姿が見えるほうが共感できるのではないか。
「涙」もその一つかもしれない。
容易に泣くのとは違い、挑戦し、悔しい思いをしたときの涙ほど素敵なものはない。
そして、おとなになった今でも、純粋に涙が流せるほど悔しい思いをするってことが素晴らしいことでもあると思う。
昨日みた上司の涙はこの先も忘れることはないだろう。
そして、僕にとっては挑戦する上で、思い出し後押ししてくれる経験になるのだろう。