甲子園という場所vol.22
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noteを知り合いの方に進めて頂き、右も左も分からない中で、vol.22まで来てました。
お付き合い頂き、ありがとうございます泣
甲子園を後にし、負けた時は本当に泣いたし、悔しかった。
でも、ホテルに戻り、最後の食事の時は、みんな切り替えて、笑顔が戻っていました。
熱闘甲子園の取材陣の方々も来られていて、いつものうるさい名電に。
取材時には、名電のみんなで最後盛り上がった所で真ん中が空いて古茂田のモノマネで締めるという流れでOKもかかりました。
その日の夜に熱闘甲子園で名電の様子が流れており、取材時にやった古茂田のモノマネの所だけカットされていた事は、今でも忘れません。
ある意味、1番泣いた瞬間だったかもしれません。
あ、これは、夏前に名電のグランドに遊びに来てくれた長嶋三奈さんと。
選抜大会の時から、凄く仲良くさせて頂きました!!(^。^)
激レアです笑
そして、甲子園から地元に戻り、引退です。
古茂田の高校野球生活も終わり、3年生は、荷物をまとめて、父兄の方々も全員集まって退寮式。
想いを後輩に託し、別れの時です。
後輩達もめちゃくちゃ泣いていて、自分達もめちゃくちゃ泣きました。
『本当に、最後まで、音響や照明を手を抜
かずやってくれてありがとう。』
メガホンを置きました。
本当にいろいろな出会いがあり、経験があり、物凄く内容の濃い2年半になりました。
ドラクエⅦをしていた当時中学3年だった自分に、1本の電話が入り、冒険がはじまったあの日から、あっという間の出来事でした。
人生の基盤になったと言ってもおかしくない3年間。本当に感謝しかありません。
経験してはじめて分かる事、経験しないと分からない事、挑戦するという気持ち、挑戦させてもらえる環境、本当、自分だけの力では、到底及びませんでした。
それは、今も芸人という道に踏み入れて、より感じています。
もう少し頑張りますよー!!(^-^)
2020年に入り、日本だけじゃなく、世界は、未曾有の危機に直面しています。
当たり前のように出来ていた事が当たり前じゃなくなり、出来なくなる。
生活様式も変わる。
野球だけの問題では決してありませんが、野球もその1つです。野球で育ててもらったからこそ、思入れがやっぱりありますよね。
自分が今思う事と題して、次回、
『甲子園という場所』
完結になります。
〜つづく〜