ホテルをつくりながら考えたこと。
2022年に「こもる」開業に向けて着々と準備をしています。2021年は時間をかけて丁寧に下拵をしたお陰もあり、何とも晴れやかな気持ちで2022年を迎えることができました。(クラファンありがっとうございました!!!)
noteのお題である「ホテルをつくりながら考えたこと」というのは、是枝監督の「映画を撮りながら考えたこと」と高畑勲の「映画を作りながら考えたこと」という書籍のタイトルをお借りする形でつけた名前です。映画を一本つくる上で様々な角度から考えを巡らし一つの思いを持ち、世の中へと送り出しています。時代へのアンチテーゼとなるものも、同調圧力への反発も、映画という産業への悲観も憎悪もまとめあげ、一本の映画をつくる。作り上げるには多大な労力と責任を持ち、時には屍の上を歩くように多くの犠牲も払いながらも。
映画は3年、5年、10年とかかる時もある。構想に5年を費やすこともある。こんなに苦しい作業を3年、下手すりゃ10年もかけながらつくるなんて正気の沙汰では無いと思う。映画館で見ると「ちょっとつまんないから出よう」という事ができず、最後まで見る。そうすると嫌でも彼らが描こうとした世界に触れる。新しい知識を受け、新しい認識をすることで、世界の見え方が少し変わる。
では、宿はどうなのか。と言うとこれまた構想に3年5年とかかり、制作にも5年と費やす世界である。そして、宿というのは映画の2時間よりも長く、寝食を一つの屋根の下で過ごすことから分かるように、思想の片鱗に触れるなんて話ではなく、宿泊者はすべてを受け止める。これはトンデモナイものを作っている気がした。今まで短い広告をつくってきた自分としては長く続くものをつくることへの楽しみなんてものは無く、不安に押し潰されそうであり、すがる思いでこの書籍名を借りたわけです。
(ちなみに、「まだ、未完のホテル展」と言うのは「出発展」という名前で始めはやろうとしました。これは宮崎駿の書籍であり、前半を「出発点」と言う書籍名で、後半を「折り返し点」と言う書籍名で発刊している。どちらも大きく影響を受けている。)
そうした思いを持ちながらも、「こもる」は今年ついに開業できるのかもしれない。今までホテルをつくろう、ホテルをつくろう。と、観念の内側でもがき苦しんでいたが、年末に自分はホテルをつくってはいないのか。と思った矢先、自分がつくっているものの輪郭を捉えた気持ちになった。気持ちの整理がつき、「こもる」は一体何なのだろうか。その答えを探すのがこのnoteで書き記していこうと思う。
こもるとは”一人考えるための宿”です。
この企画は①考えるための時間を失った ②生き方を失った背景の中で考えてみる。考えるということは人間ならではだろう。混沌とした時代に何が正しいのかの答えは考えなしには見つからない。宿の対象は都会に住む人々であり、自分の生き方を見失い、仕事をすることで生きる活路を見出している人。宿が提示する生き方に触れることで、宿泊者は新しい一歩を踏み出すための場となる。
「こもる」は単に宿泊できれば良いわけではなく、「一人の考える時間を大切にする」宿です。”ひとりにするが、ひとりにはしない。” 孤独と共生。共に食べ、共に暮らし、生活の中で「こもる」が考える生き方を知る。宿にながれる緩やかな時間は自然の時間。植物も人も同じ速度で生きる。点で見れば、新しいものは無い。線で考え、新しい生き方が確かに存在する。宿泊者は宿の生き方に触れ、自問自答をし、津軽のこの地で、生きる様式を知る。
「こもる」は研ぎ澄ますのである。1日2日ではなく、数日間と時間をかけ。一点の曇りもなく鋭敏に。雑味を取り除き、ノイズを消す。そうして生き方を知り明瞭に視界が開ける瞬間へと導くために、「こもる」は存在するのです。
とまあ、書いていますが、また変わるのかもしれません。以上です。