【3/15まで特別公開】波のした、土のうえ②まぶしさに目のなれたころ
復興工事が盛んになった2014年秋の陸前高田で制作した『波のした、土のうえ』を期間限定で公開します。→期間終了しました!
3部作の2本目となります。
作品詳細と、1本目の「置き忘れた声を聞きに行く」はこちら
3本目の「花を手渡し明日も集う」はこちら
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まぶしさに目の慣れたころ
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私の暮らした場所
思えば本当に小さな、
数百メートル四方でおさまってしまうような、
そのなかで生きてきたんだ
私はこの場所を、広いともちいさいとも、思ったことがない
こどもの頃、製糸工場の建物に入ってね
友だちとかくれんぼしたり、この、五本松で遊んだりね
曲がった松の木に登ったり、岩の上で追いかけっこしたり、石碑の後ろに隠れたりね
お祭りとか町民運動会の練習も、ここでやったんだ
名物みたいな地元のじいさんに
危ねえがらやめろって説教されたりね
子どものころからずっと仲良しの仲間が、ふたりいたのす
私も含めて三人で、三羽がらすなんて言われでね
家はお互いに徒歩1分圏内で、本当によく遊んだ
就職先も一緒、野球のチームも一緒
でも、そのふたりが津波でいなくなってしまった
わたしだけ、こうして残ってしまった
消防団も一緒だった
夜の見回り、夜警っていうのがあるのす
深夜の2時ころまで、警戒したこともあった
終わった屯所で話し語りするのが楽しみでね
最後の2年は分団長を経験させてもらって、
同期の仲間にバトンを渡して
津波の6年前に、退団したとこだったのす
だから思うんだよね
津波の時の団員さんたちは、どんなにつらい想いしたかって
なんだか申し訳ないって思うんだ
申し訳ないって言葉じゃ、収まらないんだけんと
私が現役の時には、いい思い出しかなかったからね
消防団活動には、ポンプ操法の大会って言うのがあるのす
4人1組になって、早く火を消す、想定の競技なのす
その県大会に、高田町からはじめて出場することになってね
例の三羽がらすで、出だんだよね
そしていざ競技の時、私が大きなミスをしてしまったんだよね
結果、16チーム中最下位だったのす
そこで、この話は終わりなの
でも、分団長をやらせてもらってた時に、当時の部長はじめ部下が優秀でね
23年ぶりにまた県大会に連れて行ってもらったのす
だからね、私はとっても、しあわせ者なんだ
だけど、その部長つとめた人もね
震災の後団長になって、団員の統率に奔走した路半ば、
不治の病で亡くなった
それがとてもつらく、悲しく、さびしいのす
思い出す
ここにこうして立っていると、いくらでも思い出す
忘れたと思っても、憶えているもんだ
この場に立って、
目をつむって私の中を探してみれば、それが、次から次へと言葉になって出てくる
かさ上げ工事がはじまって、まちのあった場所は、すべて柵で囲われた
私たちの会館も柵の内側になってしまって、
今では立ち入りできないことになっている
ここの部落の者なんだけんど
そう言って頭を下げると、入り口で見張りをしている工事の人に、
中に入れてもらえる
おれの親父が、太鼓たたきの名人だったのす
その太鼓の音は、おれでなくて、
部落の若者たちにちゃんと引き継がれているんだよ
津波の後ね、部落の住人3分の1が津波の犠牲になってしまった
それで、生活がバラバラになって、部落は解散
会館も流され、七夕の山車も流され、津波の年は、七夕どころでなかったよ
ここに元々うちの部落の会館があったのす
まわりは、いまこうしてなんにもないからね
誰も想像できないよね
この場所で七夕つくれるのは、今年が最後って思ったから、
実はね、私、ひとりであることを計画していたのす
部落のおばちゃんたちが作っている、
あの花畑の道路むかいに東屋があるんだけんと、
そこに、使い終わった昼間の七夕飾りを飾り付けようと思ったんだ
色とりどりの花畑に、原色の飾りが映えて、さぞきれいだろうなって
かさ上げで埋まってしまうから、
ここで生活したことの、最後の思い出にしようと思ってね
でも雨が降って、結局できなかった
私自身は、9月の末に別の部落に引っ越したところなのす
新しい部落にも七夕祭りはあるんだけんと、
来年もここで七夕に参加したいって思ってるんだよね
本当はここさ、戻りたいのす
ここで生まれて、ずっとここで暮らしたんだもの
でもここに高台が出来るまで、あと何年もかかるというからね
女房は、もうここは嫌だって、また津波来たらどうすんだって、
言うんだよね
例えここに戻ってきても、一緒に暮らした仲間は、もうほとんどいないし、
それが一番悲しいのす
私は一体、どこに戻りたいんだろう
私の戻りたい場所がどこにあるのか、わからないと思う時がある
デジカメのSDカードには、
津波の前のいろんな行事の写真と動画が入ってたんだよね
私は折に触れて、それを見るのす
何度見返しても泣けてくる
目に焼き付いて、この中に戻りたいって思う
でもそれが叶わないことを、日が経つに連れて強く思う
この動画ね、
ここに写っている9人のうち、私と女房と、となりのノリちゃん、
この3人しか、いま生きていないんだよ
こんな風に、部落の人たちがいっぱい一緒にいたのに、
大勢の人たちが、仲間が、もういないのす
私はもう何も失いたくない
津波であんなに無くなったのに、
まだ失うものがあったのかと、驚いてしまうの
わからないことが多い
知らないうちに無くなっているものも多いし、
無くなっていることにすら、気づけないこともある
それでもここはずっと、私の特別な場所
そう思う
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