
結局は親の〝経験値″でしか子育てできない。それなら、旅をさせよう。
今日は子育ての話です。
*
受験も子育ての一部
当たり前だけど、「お受験」も
我が子にどのような子になって欲しいか考えたときの子育ての選択肢の一つ
私は子どもたちにたくさんの世界を見て欲しいと思っている。
なぜなら?
私が見てこなかったから。
私の主人はそれなりに色々な経験をして、
とても多面的に、人より5手ほど先から物事を見ることができる。
(なので、周りから突拍子もないことを言っているように思われることがあるらしい)
要は経験値が圧倒的に多い
私は幼い頃、父から
「知識をつけることが自分にとって最大の武器になる」と言われて育った。
父はとても本や活字を好み、博識で頼りがいのある尊敬に値する優しい人。
そんな父に言われて「そうか、そのために勉強して沢山の武器があった方がいいのだな」
と思っていたけれど
残念なことに、私は勉強がそんなに得意ではなかった。習い事をしたり、休日には美術館へ行ったり。経験は人並みにはさせてもらっていたと思う。
かといって、私のアンテナはあまり立たず。
生き方を考えさせられる〝経験″が多かったわけではない。
そんな私が子育てをしていて感じるのは
知識として体の隅ずみまで染み渡るのは
圧倒的に「経験」を伴ったもの。
子どもに一緒に体験した出来事のことを聞くと
「そんなに細かく覚えているの??」と驚くほど。
そして大人になってからは
圧倒的な経験を埋めるために、
経験を更に思考の源泉へと昇華させるために
「本」を読む。
当たり前のことだけど、
最近そのことに気が付いた。
人生って経験が多い方が得なんだな!
そんな中、
上の子の子育てで悩んでいた時のこと。
いや、特に悩んでいたわけではないのだけど
もやもやとしていたことがあり。
このままでいいの?
という思いが。
話ははじめに戻るけれど、今の私が思う親が子どもにしてあげられることは
「できるだけたくさんの世界を見せてあげること」だと思っていて。
でもそれは、
お出かけして何かちょっとずつ「体験」させることとは違う
信頼に足りる、子ども心を理解する大人。
そして「え、こんな大人いるの??」と大人になることが楽しみ、そう思わせる大人に出会わせること。
ニュースを見れば、
人を騙す大人がいて
SNSを見れば
お金の為に見栄えを気にする大人がいる
周りを見ると
仕事に疲弊して心を病む大人がいる
こどもの心の琴線に触れる「大人たりうる、おとな探し」が親の任務だと感じた
学校の先生もそんな存在ならいいのに。
現実は?
毎日学校で子どもたちと触れ合って、なんなら親よりも長く時間を過ごすのに。
*
なぜ子は親と同じ職種を選ぶ確率が高いのか?
それは一番身近に見ている強烈な大人のサンプルだから。
色々な大人の生き方が身近にある環境なら他の選択肢も見えてくる。
ものすごく強い、働く大人のサンプルが近くにあれば、それを選ぶ子どもの心理はごく自然。
だからたくさんの大人に出会わせる必要がある
大人ってつまらないいきもの認定
「見た目は子ども、頭脳は大人、その名は名探偵●ナン!」
なんてアニメのセリフがありますが
その逆で
見た目は大人なのに中身が子どもや、子どもの心をどこかに置いてきた大人が多いこと。
もちろん、人のことは言えた立場でなく
私も含まれていると思っていて
でも、大人にこそ子ども心(遊び心)の〝余白″が無いといけない。
ただ年齢の積み重ねで大人の矛を振りかざす警備隊ではつまらない。
子どもから『大人ってつまらないいきもの』認定されてしまう。
そんな思いの中で、上の子ももう思春期真っ只中。
大人への階段を少しずつ上がっていっている今、
何かガツンと脳と心を揺らす経験ができないものかと考えていた。
そこで私が選んだのは
たびに行かせること。
その人は、子どもとたびをしていた。
この人になら任せられる
そう感じて、不安を感じながらも
意を決してたびに送り出した。
昔から
〝可愛い子には旅をさせ″ということわざがあるけれど、多くを経験して帰ってきた子の日常はさほど変わらずとも、
確実に自分の目で見た、触れた、嗅いだ、食べた、笑った、泣いた、経験したことは彼の心にトゲとなって突き刺さり新しい世界を見る前には戻れなかった。
そしてそれを見守った私たちも絶対に経験する前には戻れない、家族での新しい世界との出会い。
旅の話はまた別の機会に。
*
子どもたちにステキな学びの機会がありますように⭐︎
スキ♡を押していただけたら励みになります!
普段はがくせたお受験noteを書いていますので
のぞいていただけたら嬉しいです。↓
〈がくせた〉年長からのお受験
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
※最後までお読みいただきありがとうございました。
いいなと思ったら応援しよう!
