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2024.03.14 さよならの季節

自分のアタマがココロを論破できるのに、なぜ執着し続ける?
『止まり木』以降、自分の中での感情が「好き」ではなく「執着」であることを認識し、それを手放そうとしていることも、何か変化を起こそうとずっと気になっていた人をフォローしたり、タンス買ったり、色々やってるのに、な〜んでココロに住み続けるんだ?


原因はわかる。
日常にれんさんが染み付いてるのが悪い。
ここまできたら、まずは相手のせいにしまくって、開き直ろう。

まずは、Nintendo Switchのフレンド機能。
ゲーム実況やら諸々が好きな私は、ゲーマーとは言わないが、そこそこにゲームをする人だと思う。
友達と一緒に遊ぶこともあるし、ゲームに向かってる最中は他の思考を邪魔されないという状況が好きだったりする。
そのため、ゲームはそこそこの頻度でやるし、友達と遊ぶためにオンラインのフレンドを確認したりもする。
このフレンドにれんさんがいる。
元々2人でゲームをし始めたソフトが、私のハマっているゲームであるというのもあるが、どうしてもれんさんの影がチラつく。
よろしくない。
もう見えないようにブロックした方がいいのかとも考えたりするが、そうすると相手から私が見えなくなる。
これが嫌だ。
私としては、相手からブロックして欲しい。
あ〜、なんてわがままなのだろうかと思うが、自分から縁を切りにいった時、ゲームのフレンドはそのままにしておくよと別れ際に言っておきながら、今の今フレンド機能をブロックするのは、なんというか、なんか嫌なのだ。
わがままだろうが、なんだろうが、嫌なものは嫌なのだ。


次に、日々の生活している場所だ。
色んな場所に彼との思い出が転がっている。
あるあるだが、そこに行くたびに、その時のことを思い出す。
非常に厄介だ。
もういっそ引越しでもした方がいいのかもしれない。
ただ、引越したい先が彼の今住んでいる土地だったりする点は、もうアホとしか言いようがない。
いっそのこと海外にでも住むかというぐらいの方がいいのかもしれない。

うん。
きっと私の性格上、徹底的に排除しない限り、次へ進めない気がしてきた。
はー。そうか、もう全部断ち切れということか。
それができない限り、私のココロは彼に執着し続ける気がする。
さよならの季節なのかもしれない。

決めた。3月20日に卒業する。

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