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3人目に踏み切れない、金銭の話じゃない本当のところ。
現在、5歳長男と1歳長女の2人の子どもがいます。
自分が2人姉妹で育ったので、ずっと漠然と「子供は2人」と思っていました。
そして長男が産まれて、初めての子育てにてんやわんや。もう2人目さえ無理かも、というところから長男の成長のおかげでもう1人家族を増やしたいという気持ちを持てるようになり、長女を授かることができました。
長女の妊娠中、「うちは子どもは2人だから、これが最後の妊娠出産か〜」と思うと同時に「いや、最後にしたくない」という気持ちが湧いてきました。
妊娠出産という経験は何にも変え難い特別な経験で、それがまだ今後もできるチャンスがあるのに「これで終わり」と決めつけていいの?という気持ちなのか。
息子が3歳になって、初めて自立の兆しを見せ始めてきた時に幼児の育児期間の短さを実感し、まだ終わりたくないと思ったのか。
育児を通して、子どもという「未来」そのものの存在と一緒に暮らす生活する尊さ・愛しさを知り、その生活をもう少し続けたいと思ったのか。(もちろん大変さの方が上回るのでは?と思う日も多くあるのが現実ですが・・)
そこで、妊娠中は「これは最後だ」と思い過ぎず、子どもは2人という過去の自分が作り上げた家族イメージにとらわれ過ぎず、出産後の自分の気持ちがどうなるかでまたかんがえようと思うことにしました。
そして出産した今、本当はまだもう1人欲しいのが正直な気持ち。だけどもう産めないと思っている今の私の考えの記録です。
守りたい存在をこれ以上増やせない、自分のキャパシティの問題
ニュースになるような大きなことだけでなく、日々いろんなことが起きます。
息子が習い事のスイミングで溺れかけた時、保育園で頭を打った時、一緒に歩いてて急に走り出して事故にしそうになった時。
「もしあの時溺れたままだったら」「頭の打ちどころが悪かったら」「車に轢かれていたら」。
未来に向かう存在なのに、なんで危険に向かってしまうのでしょうか。子どもは不思議な存在です。
ヒヤリな経験を沢山積み重ねてきたからこそ、子どもから目を離さないことの大変さ、そして全てが親の責任となることを実感してきました。
それに加えて日々の子どもに関する事件事故。この時代に自分の子を守らなきゃいけない、その重圧にも負けられません。
命と健康を守るだけでなく、心の健康もあります。
親からの一方通行な時もありますが、子どもと親は一心同体だと感じます。
子どもが傷付いたら親も心が痛み、怒りも芽生えます。自分のことだけでも更年期が差し迫ってきて情緒不安定なのに、子どもの感情からも喜怒哀楽を左右されます。
宝物である子どもの心と身体の健康を守ることは、親にとって本当に体力と神経をすり減らして、時には責任感に押しつぶされそうになりながら、向き合う必要があることだと思うのです。
宝物が増えることはもちろん喜ばしいのですが、それを守り抜き耐え抜ける自分のキャパシティが、もうすでに満杯だと感じるのです。
これ以上、大切な存在が増えて私は大丈夫だろうか。ということ。
単純に「宝物がもう1人きてくれたら幸せ」という気持ちだけでは、3人目に踏み切れない一つの理由です。
健康に産まれるとは限らないことの現実
娘は生誕翌日の吐血をして、NICUに入院しました。(詳細は別の記事で書いてます)そこで初めて、NICUとGCUという場所に立ち入りました。
その世界は自分にとって知るべきだったけど知らなかったものでした。どこか自分事として捉えられていなかったことでした。
いろんな事情で入院しながら毎日がんばっている赤ちゃんがたくさんいます。
入院中に七夕を迎えたので、NICUには家族が自由にかける短冊が置いてあったのですが、その願いたちは本当に切実なものでした。
なんで今までの2回の出産、自分の子供は大丈夫と漠然としら自信があったのか。娘の吐血でそれは根拠ない自信だったことを身をもって知りました。
娘も低酸素状態を経験したので、退院できなかった可能性もあります。継続的な治療が必要になった可能性もあります。
分かってはいたつもりだったけど、「つもり」だったんだなと思いました。
すでにキャパシティ不足を実感している状態で、さらにまた第3子に長女と同じようなことがおきたら、他にも何かが起きたら。それをちゃんと考えた上で自信を持って出産に挑めるのか。まだ自分にはその心が整っていないと思いました。
ただ金銭的に余裕があれば良いわけではない。子育てで向き合うのは金銭だけではない。
それが現実だと思うのです。
もちろんそこに、妊娠出産の身体的負担、日々の子育ての怒涛の日々、女性ならではの年齢との戦いも加わってきます。
子は宝、というのは本当にその通りで、上記のことを乗り越えてでもやはり第3子を迎えたい気持ちになる時もあります。
未だ揺れ動いているのは事実ですが、今は子ども2人と向き合い、自分とも向き合い、考えを少しずつ意思を持って後悔ないよう固めていきたいと思っています。