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悪事を働けば地獄に墜ちるの?古文書『富士信導記』解読②

明治10年発行の古文書『富士信導記』第2回目です。

今回は、善事とは何か、悪事とは何か、そもそも神理とは何か。 それらを追求し、もし悪事を働いたら地獄に墜ちるのか、について言及しています。

まだ富士山に登るまでには至りません。

善と悪についてみっちり学習する段階です。

■天の都に還り、無限の安楽を得ようと思うのなら、どんな善事を行えばよいのですか

神理を守りましょう。

■神理とはどんなことでしょうか。 また、いくつの項目があるのでしょうか

天祖天神の深い恩と、天地無限の神のおつげを
並べて、片時も忘れないことです。
寝起きする前後に拝み、両親に孝行し、
年上のきょうだいを敬愛し、夫婦仲睦まじく、
一家をひとつにまとめ、子孫を思い、
存分に家業に努め励み、
人に信義を尽して交わり、国を愛するなど、
項目はおおよそこのようなものになります。

■神理に背いて悪事を働けば、天の都に還って安楽を得ることはできないとする項目は、どのくらいあるのですか

窃盗・妄言・淫乱などを始め、すべての善事に
反対する者は皆悪事であり、神理に背く
項目です。 ですから、大小にかかわらず、
鬼のように荒々しい神が憎むものであれば、
軽重によっては地獄に墜ち、計り知れない
苦痛を蒙ることになるでしょう。

■一度悪事に手を染めれば、改心したとしても地獄に墜ちるのですか

天祖天神に心から深く謝罪し、
後悔の念を感じるのであれば、
積み重なった罪であっても、
天の都に還って安楽を得ることが
できるでしょう。

■心から深く謝罪するとは、どのようなことをすればよいのですか

後悔の念を感じて、より格別に神の恩を忘れず、
誓って神理を守りましょう。

■法律を犯すほどの罪ではなく、ただ心に魔が差した程度のものであっても、神の怒りを買ってしまいますか

鬼神は人の目の及ばないところで犯した
罪であれば、むしろ大変忌み嫌います。
ですから、後悔の念は必要でしょう。

■後悔の念とはどんなことでしょうか

悪事を犯したことを自分で悟り、
それ以後は決して悪事を犯すまいと心に誓い、
高天能神祖神魯岐神魯美奇支霊乎幸波幣給幣たかまのかむろかむろぎかむろみくしきみたまをさきはへたまへ
と御神名を唱えつつ祈念して、その罪を
消滅します。 自ら悟り消滅できれば
神の怒りを買いませんから、最後に
霊魂は天の都に還ることができます。


【たまむしのあとがき】

古文書では、同じ言葉を何度も使用することが、普通に見られます。

今ではなるべく同じ言葉は避け、似たような意味のものをうまく使い分けていくのが暗黙の了解ですから、古文書を現代語訳するときに気を遣うのが、極力「言葉を連用しないこと」です。

原文では「鬼神きしん」という言葉が、質問で1か所・回答で3か所の計4か所あります。

鬼神とは荒々しく恐ろしい神のことを指しますが、すべてこの訳を使ってしまうと大変しつこいですし、かといって鬼神だけにしてしまっても、そもそもそれが何なのか、よくわからないまま読み進めていってしまうことになります。

ですから、最初の鬼神は「荒々しく恐ろしい神」とし、次に登場した質問の方では「神の怒りを買う」、回答の方はそのまま「鬼神」としました。そして最後はもう一度「神の怒りを買う」にしました。

ちなみに、鬼神は英語で「デーモン(demon)」ですが、デーモンには、鬼神・悪魔・鬼という意味があります。

なんだかぜんぜん違いますよね。荒々しい神と悪魔は別物ですし!

むしろ悪魔ならデビル(devil)やサタン(satan)じゃないかと思います。

そう考えると、デーモン閣下は鬼神という、そもそものイメージぴったりに思えて、なんだか少しニヤリとしてしまうのでした。

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