映画「人間の境界」「関心領域」を観て (ネタバレあり)
先月、興味をひかれる作品を見つけたので観に行ってきました。
高橋郁美(埼玉・戸田市)
「人間の境界」
「ベラルーシを経由してポーランド国境を渡れば、安全にヨーロッパに入ることができる」という情報を信じて祖国を脱出した、幼い子どもを連れたシリア人家族。
しかし、亡命を求め国境の森までたどり着いた彼らを待ち受けていたのは、武装した国境警備隊だった…。(公式サイトより)
2021年、ポーランドとベラルーシの国境にヨーロッパを目指す中東やアフリカの人達が大勢集まった実話が元になっています。
EUの混乱を引き起こすためベラルーシが意図的に難民をポーランド国境へ誘導したとされ、EU側は難民を「人間兵器」と呼びました。
ポーランド(EU)は難民を兵器として使うベラルーシを非難しつつ、難民自体を危険視し救助することなく排除を遂行します。
老若男女、妊婦も子どもも非白人は「平等に」入国を許さず暴力的にベラルーシへと送り返す。その難民をベラルーシ側は更にポーランド国内へと追い立てる。
鉄条網で隔てられた国境線でそれが何度も繰り返され難民は次第に弱り死に至る者も多数出ていく……。
一応ポーランドで亡命申請をする道もあります。
ただし劣悪な収容所に入れられ申請はほぼ通らず放置されてしまうため、活動家たちでさえお勧めできないと言う現実。
それではいったいどうすればいいのか?
そのような状況を上記のシリア人家族、たまたま彼らと行動を共にしていたアフガニスタン女性、国境で彼ら難民を押し戻す任務をしているポーランド国境警備兵、警備兵の目を盗んで難民を支援するポーランドの人権活動家たち、偶然難民と関わったことから活動家たちに加わる精神科医―の視点から描いています。
若い国境警備兵は任務をこなしつつも葛藤に苦しんでいました。
ある日の任務中、隠れていた難民家族を見つけた彼は見て見ぬふりをして逃がします。
その後彼の姿はウクライナ国境にありました。
そこで同じ難民でもウクライナからの難民は2週間で200万人を受け入れたことが描かれます。
しかし時を同じくしてベラルーシ国境からの難民は3万人が国境沿いで亡くなっているという。
2023年からまた難民の人数が増えているらしく未だ現在進行形で続いています。
「関心領域」
「空は青く、誰もが笑顔で、子どもたちの楽しげな声が聞こえてくる。そして、窓から見える壁の向こうでは大きな建物から煙があがっている。
時は1945年、アウシュビッツ収容所の隣で幸せに暮らす家族がいた。」(公式サイトより)
収容所所長ルドルフ・ヘスとその家族の日常が淡々と描かれます。手入れされた美しい庭に囲まれた邸宅。
子煩悩で家庭的で穏やかな夫、美しい庭園造りにいそしむ妻、可愛らしい5人の子どもたち。
半面、夫は大量の「荷」を効率的に処分することに熱心で、妻はその「荷」が所持していた毛皮やダイヤの自慢をしたりする。
一人の息子は同じく「荷」たちのものであった歯で遊んでいる。
美しい庭の向こう、壁の向こうは「荷」の「収容所」でそこからおぞましい音が絶え間なく聞こえてくる。
怒鳴り声、泣き声、犬の吠える声、銃声、重々しく到着する列車の音。見えるのは監視塔、絶え間なく煙を吐き出す焼却炉の煙突。
父子で泳いでいた川には骨混じりの灰が大量に流れてくる。嫌な臭いも流れてくる。
それでも家族は楽しく遊びお茶をし食事をしベッドで眠る……。
そんなある日のこと、妻の母が遊びに来ます。
彼女は知人が「隣」にいることを話し、知人が残していったカーテンを他人に横取りされたと悔しがっているような人物です。
しかし、夜中に聞こえる音や炎混じりの煙を上げ続ける煙突を見てドイツへと逃げかえります。
壁の向こうの声やにおいの正体は一切画面には出てきません。
しかしある程度知識を持っている人ならそこで何が行われているかはわかっています。
人間らしい感情が少し垣間見えてかえって異様さを感じました。
両作品とも観ているうちから泣けてくるは、胸がムカムカするはで、非常に辛かったです。
(特に関心領域はエンドロールの音楽も耳障りが悪い)
それでも最後まで目が離せませんでした。
収容所では「荷」と呼ばれベラルーシポーランド国境では「兵器」と呼ばれているのは人間なのです。
対等な人間と認めない者にはこれほど冷酷で残酷になれるのか。
違う人種、違う宗教などさまざまな要因はありますが、大きな力(権力者や世間)が「こいつらは同じ人間じゃない」と定義すれば、殺すことさえ厭わなくなるのが怖いです。
ふと思い出したのは中学時代のアパルトヘイトについての授業のことでした。
南アフリカの激しい人種差別について話した後、先生が「日本人は名誉白人なので差別されない」と言ったのです。
その言葉に「ああ、よかった」と安易に思ってしまったあの時の自分。
今思い出すと思わず声をあげたくなるくらい自分の中で恥ずかしい黒歴史になっています。
こういう「自分じゃなければいい」という感情が人でなしで冷酷な状況を作る手助けになるのではないかと思います。
映画の舞台は過去や遠い土地での事柄ですがとても身近に感じます。
突然自身ではどうしようもないことで弾圧を受け命の危険を感じる状態になったなら?
自分が人間として扱われない差別対象にされてしまった時どうするのか?
抵抗するのか逃げるのかどうすればいいのか?
また自分が対象ではないけれど、周囲の人が対象にされてしまった時はどうするのか?助ける行動ができるのか?
黒歴史は過去のもので今実際目の当たりにした時「自分じゃなくてよかった」と本当に思わないだろうか?
実は自覚がないだけで今も思っていないだろうか?
「対等な人間」として扱われなくなる恐怖は過去のものでも遠くのものでもなく誰でも可能性があります。
「人間の境界」はポーランド政府が上映妨害をし、監督は身の危険を感じたそうです。
「関心領域」の監督はアカデミー賞でのガザの停戦を求めるスピーチが曲解され「反ユダヤ的」と批判される事態に。
すでに抑圧的で攻撃的な空気に覆われています。
更に抑圧が強くなってこのような作品を見ることさえできなくなる日が来るのか?
そんな状況にならないことを強く強く願っています。