育休ルポ:産後の私が葛藤したこと

お友達が育休ルポを作っていて、産後葛藤したことを包み隠さず書いて欲しいといわれたので、書いてみます。

本来の性格的には、悩みはすぐに課題解決にもっていくので、ずっと悩んだりはしないのですが、産後1ヵ月は辛かったなぁー

ということで、思い出しながら書いてみます。


里帰り出産。20年ぶりに帰った実家に私の居場所がなかった。

37歳で第一子の出産。妹は未婚。我が家の初孫なので、軽い気持ちで、親孝行のつもりで、里帰り出産をしました。
時期的には2020年1~3月まで3ヶ月、産後1ヵ月ちょっとを実家で過ごしました。

両親と3人で、娘をみんなで育てていく

そんな夢を見て実家に帰ったのですが…蓋を開けてみると、祖母の介護で両親は忙しく、実家に私の居場所はありませんでした。

水場が1階にしかないので、私は広い実家の玄関横の仏間(←1階そこしか空き部屋がなかった)に布団を敷いて産後を過ごしました。

リビングから遠く、エアコンもなく、娘がずっと寝ているので雨戸を閉めて薄暗い部屋で、さらにストーブを炊いているので換気のためにいつも扉を薄く開けて隙間風を吹かせながら(娘は2月生まれなので寒い)、そんな薄暗い部屋で孤独を感じながら1ヵ月を過ごしました。

「独房かな…」とすら思うこともありました(苦笑)

もう、めっちゃ辛かった。

父親はおむつ替えなど全くしない昭和の男で、家じゅうをドスドスと歩き回り寝付いた娘を起こし、タバコを吸うのでタバコ臭くなり、何度喧嘩したか分かりません。

母はとても可愛がってくれたのですが、テレビが大好き。昼間に娘を居間に連れていくとテレビを消してくれるのですが、娘のために昼からリビングを薄暗くしてシーンとした空間を家族全員に強いているのでは、と辛かったです。

夜は寝かしつけをするために、また仏間に行くのですがなかなか眠ってくれず、夕方沐浴させてから寝付くまでの数時間が憂鬱でなりませんでした。仏間でずっと娘をかかえて、泣きそうになりながら寝かしつけをしていました。母が「リビングに来たら?」と言ってくれましたが、夜は父もリビングでテレビを見ます。父の耳も遠いのでテレビの音量はかなり大きく、さらに私の祖母はもっと耳が遠くて、拡声器のようなものを置いてテレビを見ていました。

そんなところに娘を置いておけない…

堂々巡りになるのですが、昼も夜も娘と私の居場所はないと感じてしまい、1日中、薄暗い仏間で過ごしました。私の不安や鬱々とした様子が伝わるのか、昼間もあまり寝てくれずに、この1ヵ月が産後で一番つらかったです。

産前は夫と毎日のように1,2時間の電話をしていたのですが、出産後は娘中心の生活になり、娘が寝たタイミングで15分ほど夫と話していました。この話をする場所も、仏間では娘が寝ているし、リビングには大音量のテレビが鳴っているし、2月で寒いなか、玄関先で夫と電話をしていました。

産後1ヵ月たって、いよいよ帰ろうかという頃には、コロナのニュースでもちきりで、「まだ帰らないほうがいいんじゃないか」という引き留めをされました。葛藤しながら、反対を押し切って、夫に迎えに来てもらい、関東に戻りました。その1週間後、緊急事態宣言が発令されるのでした。

母親のサポートがあってもこんなにツライ子育てなのに、関東でワンオペでやっていけるんだろうか…という不安がかなり大きかったのですが、夫が家事と育児を全面協力してくれて、タバコも吸わない、テレビも見ない、誰も物音を立てないという環境で、思った以上に核家族子育ては順調にスタートできました。

関東に戻って、1週間後に緊急事態宣言となり、そこから3ヶ月間夫が在宅勤務になったことで、図らずも私は産後、たったひとりで子育てをするという期間を数日しか過ごしていません。

「保育園には預けない」という、ママ友の投稿にモヤモヤ

関東に戻ってきて2か月後、私は、娘を生後4か月になる6月から半日保育で預けています。この9月からは1日保育に移行しました。

はじめて預けた日は、娘が泣き叫ぶのを聞いて自分も泣きながら帰りました。どうしても、東京に行かなければいけない用事があって、預けることにしたのです。

ただ、その泣き方があまりにもショッキングで、私はその後1週間保育園を休ませてしまいました。苦笑

つい、フリーランスなので寝ながらでも仕事はできるかもしれない、と葛藤して、お金は戻ってきませんが、自分の手元で育てられるのではないか、と保育園の先生に葛藤を打ち明けながら過ごしました。

まだ、4か月の頃は午前も午後も、2時間ずつ寝てくれていたのです。「あれ、これって預けなくていけるんじゃ?」と思ったのも束の間…
寝がえりをしてからの生後6か月からは、1日保育で6~7時間(ちょっと早めに迎えにいってます)預けています。

今では、本当にこの保育園に娘をお願いできてよかったなぁという思いがあるのですが、ここに来るまでは結構葛藤がありました。

いまは心から「自分は預けて良かった」と思えていますが、この葛藤の時期にはモヤモヤもありました。

以前からのフリーランスのお友達で、ちょっと先に第一子を産んだママ友がいます。あっという間に出産前の体重に戻り、産前より美しくナイスバディになった素敵な女性なのです。

そんなお友達が、SNSで「私はフリーランスで自由なタイミングでお仕事ができるから、子供は預けないでお仕事します」という、キラっとした投稿をしていました。

かたや、同じフリーランスの私は、妊娠7ヶ月の時点で、産む前から認可外保育園に契約を済ませていました。たしか保育園を決めたのは10月頃。出産予定は2月。どんだけすぐ仕事したいんだ・・と言われましたが、一番最短で預けられる産後3ヶ月で、できるだけ早く娘を保育園に預けて仕事復帰をするつもりでした。

そう思っていた矢先、「私は子供と一緒に過ごす時間を大事にしたいから、預けません」という投稿を見て、私はついつい

「私は大事にしていないっていうことだろうか」とモヤモヤしました。いや、ハッキリ言うとイライラした。私への当てつけ?とさえ思うほど。

でも、そんな彼女もよくよく話を聞いてみると、預けないで子供を見ながら、寝付いたあと深夜に仕事をするのはかなりツライ…とういことを言ってくれました。「あぁ、そうだよね。やっぱりキツイよね」ということ。

キラキラして見えるママも、同じお母さん。同じくらいの子どもを育てていたら、そりゃあ色々ある。ついつい子育てしていると、自分ばかりが大変で、誰かこの辛さを理解してケアしてよ!って思ってしまいがちだけど、みんなそれぞれの立場で大変なのである。

預けない、という決断をした彼女の選択に、私は嫉妬していたんだと思う。
どっちを取ってもいいのだ。

子供を産まないと、分らなかったことが沢山ある。

大変なことも制限があるけれど、例えばいま全く夜にで歩けないことも(不思議と夜に出かけたいとは全く思わなくなったけど)お酒を飲めないことも(たまに飲みたい時もあるけど)、この娘がいなければ持てなかった思いがあって、喜びがあって、本当に心から産んでよかったと思っている。

産む前は完全に大嫌いだ!相容れない!と思っていた人に対してさえ

「あぁ、あの人も赤ちゃんだったんだなぁ」と思うとじんわりとした人類愛みたいなもんがわいてくる。

今日はオチがありませんが、私の産後の葛藤のお話でした。キラキラしないレポを、とリクエストされたので、特に本当にキラキラではなく、ドロドロをクローズアップして書いています。

まだまだ、学校を私立にするか公立にするか、中学校受験を7割の子供がしているエリアに住んでいて、高校まで公立で育った自分としては「ええーー」という、そういった葛藤はまだリアルに感じられるのはまだ先なので

一旦ここまで。


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