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後輩について
後輩が最近現れた。
年下の奴が全員後輩だと言われれば、前から確かに色々居たが、いざ先輩後輩の関係になるかと言えば、今までは年下を自分の周りから遠ざけていたような気もする。そもそもの話、十七の頃から日本を出て、外国で日本人の自分より若い人や同い年と出会う確率自体とても低い。だが、奇しくはないが苦しくも24の年に足を踏み入れた途端、年下を後輩だと意識するようになってきたのだ。
「もっと大人の自覚を」と掲げた今年の抱負にピッタリな変化である。
そういった今回のお話し。
そもそも後輩が一体何なのか分からなかった。自分は先輩ヅラしてるのに、いざ現れたら心も狭く上手く可愛がってやれないものである。
今近くに寄ってくる後輩らは、学校もしくは地元やバイト等で縦社会を学んでいるようで、UZUにやってきても、敬語も使えて、ちゃんとヤマト君ヤマト君と色んな事を聞いてきてくれる。これは可愛いと感じられる。
後輩についての良い発見は、話をちょこちょこ持ってきてくれるということだろうか。
たまにスゲー馬鹿な話もあるし、考えたら防げるやろって思える問題(ハロゲンヒーター点けっぱなしで寝て、布団を焦がすとか)も起こしたりするが、そういった諸々の事を思っても、後輩がいる環境ってのは日々の刺激に一役買っていて面白い。自分の背筋も伸ばそうという気になるし、暇してるやつなら尚更、作業も手伝ってくれて有難い。
周りの先輩の気持ちになって考える、もしくは今まで受け取った親切や見てくれた面倒を鑑みれば、良く分かる様な気もするのだが。
これらは先輩であると意識し始めたつい先日がきっかけで感じ始めたのだと思われる。
けれども、「先輩に成る」というのはまた難しいことである。その後輩の未来を一緒に考えてやれるのかどうかも今の自分に出来るのかどうか。
物事を教える立場、自分ならUZUの事だったり、ここでの生活だったりするが、そういったことを手取り足取り教えてやれるのか。この前もケンさんにお前のやり方は投げやりすぎると言われたばかりである。
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果たして自分は良い後輩なのだろうか。新年を迎え早一ヶ月。落ち始めている今日この頃。元気が出ない。先輩であるということは一体どういうことなのか。後輩にはカッコつけないといけないし、この先輩は自分よりも何かができる人だと思われなければいけないとか、弱いところも初めのうちは見せてはいけないとか、舐められたくないとか。
かと言って、こうも落ちている段階だと、どうも後輩と顔と合わせても気まずい感覚が心にはある。それがまた明るい奴だと救われるような、うるさいような、ついてけないないような。
それにカッコつけなければいけないという責任感も辛くもある。そんな事に悩んで色んな人に連絡を取ってみた。すぐに連絡返してくれる人もいれば、いなかったりだがそれでもこの胸のモヤモヤは晴れない。寝たら治るかと思ったが、翌日は余計に沈んでいる。結局根本の解決には至らず、翌日の頭の中には人生というキーワードがぷかぷか浮かぶ。
俺はここで一体何をしているのだろうか。俺は誰で何をしたくてどこにいるのか。
年下が自分の周りに現れると自分の「みんなの後輩」というアイデンティティを奪われる様な感覚があった。実際は年齢が上がるにつれて自ずと剝奪されていき、周りの先輩からの目も変わってきてるようだ。それに24にもなると染み着いてしまった在ったのかも分からない自己と一般社会とのズレは顕著に他人の目に写っていると感じる。近寄りがたい雰囲気も有りそうだし、今までの癖になっている身だしなみの悪さは余計に人が寄ってこないだろう。
この年齢になると、年齢が近い人達がどんどん現れる。大学終わりで海外に出るだとか、社会人をやっぱりやめて海外出てみるだとか、大体が旅行者だが、その中からここジョージアに暫く居残る人がちらほら出てくる。その人らと友達にすぐ成れるかと言われれば、それも自分には難しい。同級生とか同じ年代の人達に対して恐怖心というか、少し中学生の頃のトラウマが蘇り、上手く打ち解けられないのだ。
その中でも、安心して色んな会話が出来る奴も居たのだが、彼らもまたどこかへ行ってしまった。
海外だと友達の入れ替わりも激しい。ジョージア人の友達はずっと居るが、他の外国人や日本人は行ったり来たりで、自分の心にもやはり友達と作るということは負荷がかかる。
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ああ若かった頃が懐かしい。まだ老いてはいないがあの頃には在った若いという特権は、今は既に失効していた。もう可愛がって貰えることもないのだろうか。年下にどんどん譲っていくもので、今まで貰った恩を送って行かなければいけない段階なのだろう。
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UZUでのポジションもそろそろ譲っていきたいと思い後輩を捕まえようとしているのだが、その後輩にUZUや日本の家で経験した面白さをどう見せてやるのか、悩んでいる。みんなの後輩というポジションに上手く当てはまった時に得られる面白さは一人で苦労する時間より苦労も多いが楽しい時間が多いと思う。
悩みも色んな先輩に相談出来るし、その相談に先輩らもちゃんと答えを出してくれる。そういったことをちゃんと自分は会話で与えられる様になるのか。これもまた修行である。