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日記、異邦人

あまりにも死にたくなった。
死にたくなったというか、不意に深い深い無意欲・無関心・無目的に溺れた。
理由はない。

生きることに意味があるとも自分に価値があるとも端から思っちゃいない
「誰も自分のことなど見ていない、不必要な人間なのだ」、中学校くらいならそんな理由で病んでたし、そんな思考は清々しい程に陳腐で恥ずかしく、いつしか捨てた。

しかし今を生きるにあたって「興味を持てない」ことほど恐ろしいものは無い。
あれが欲しい、それを見たい、これが食べたい、ここに行きたい、貴方に会いたい、資本主義を疑わない(疑うことを許されない)現在では上記のような消費活動が生活の根底であり、だからこそ(健常な)人は労働を熟し、対価を得、自らの興味を満たし、人間であり続けられる。この車輪から溢れる事は本当に苦しい、文字通り寝たりきを余儀なくされるのだ。人間が目的志向的動物であるのなら即ち私は人間とは呼べない。

そんな訳で何をしたらいいのか分からなくなった。とりあえず去年から机に結んであるるこたつのケーブルに首を縊った。鬱血して吐き気がした。
恥ずかしながら体重をかけるのが恐ろしくなりそっと外して、それでも何も出来ず、床で泣いた。

原因が無意欲であることははっきりと自覚していたから、外に出て走ってみた。何も変わらなかった。帰り道に訳も分からず泣いた。何がしたいのか分からなかった。目眩がした。

「不条理」という単語が頭を突いて、すべきことも無く(見つけられず)、本棚のカミュを漁った。

「シーシュポスの神話」を読んだ。無意味な人生の不条理さを甘受し、そこにこそ希望を見出すらしい。理解できなかった。

「異邦人」を読んだ。母の死に涙ひとつ零さず、その次の日にガールフレンドと一夜を共にし、彼女の「自分を愛しているか」という問いには「no」と答え、太陽が眩しかったから人を殺す主人公ムルソー。何故か、「理由がないから」。

祖父の死を心から悲しめなかった、何がしたいか分からなくなった、誰に会いたいか分からなくなった(誰にも会いたくない、とは違う)、どうすればこの状況を脱せるのか、救われるのか分からなくなった、そもそも救われたいのかすら分からない、救われたい根拠を見つけられない自分には、彼の異常さが分からない。

ムルソーは弁護士の言うことを聞かず、自らに有利な言動もせず、再三会いに来た司祭を邪険に扱った。理由がないから。
そして彼は死刑を執行された。

彼は別におかしくないと思った。

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