極めて客観的に生きづらい
はじめに伝えておくが、心を病んでいる訳ではないので安心してほしい。
私は幼い頃からかなり何事にも真面目に取り組んできたので、学生時代の評価は正直悪くなかった。中学生の頃の通知表はほとんどの科目が最高評価だったし、親世代からはなんとなく「こむぎちゃんは出来た子」扱いされているのを、幼心に感じていた。
ただ高校生以降は学力帯にも似通った人間が集まる。そうでなくとも社会人になれば、「学校のお勉強が出来る」のを評価される機会というのはほとんど無に等しい。類まれなる学力を持っていればもう少し長く夢も見られたのだろうが、ただ人一倍勉強に時間をかけただけの自分が到達出来たのはありふれた成績帯だった。
そして、これまでの評価を取り払われて代わりに露呈したのは、私のとんでもない生活能力の低さであった。例えば以下のようなものだ。
人の顔と名前が覚えられない。小学校入学から中学2年生までの8年間、ある同級生の顔と名前とが一致していなかった。中学校や高校で新たに同級生になった人たちなんてもちろん全く覚えられず、友人に耳打ちで同級生の名前を教えてもらって会話をしていた。
すぐ失くし物をする。大学4年間でクレジットカードと年金手帳と実印を、併せて5回失くしている。クレジットカードは結局見つからず再発行した帰りの電車で発見された。
物忘れが酷い。レンジで解凍した豚肉の存在を忘れて仕事に行き9時間放置した(2回やってる)。麻婆豆腐を作るつもりで水抜きした豆腐を冷蔵庫に放置したまま、晩御飯抜きで寝たことがある。
方向感覚がない。最寄りから自宅まで10分の道のりを、気まぐれで一本違う道から帰ろうとして隣の市まで歩いてしまい、2時間かけて帰ったことがある。
と、書いている自分が怖くなるほどの呆けっぷりである。文章から独居老人と同じ哀愁が漂っている。
こういった生活能力の低さ、いや、生きる力の低さ故、人生をめちゃくちゃ苦労して過ごしていると実感している。
多分上記の特性の内いくつかは医師の診断の下名前が付くものなのだろうな…という予感はあるが、シュレディンガーの猫は老衰させようと決めている。
怠惰の言い訳をしたいわけではない。共感してもらったり、慰めて欲しいわけでもない。ただ、自分を紹介する上で、これは必ず知ってもらいたかった。私はしっかり者ではないし、かなり不器用な人間なのだ(かといって、しっかり者だとか器用な人だとか、勘違いされたくないわけではないし、そう見えているならとても嬉しい)。
ことわりを入れていたとはいえ、このような文章を書くと私の友人達(あなたのことですよ)は心配してしまうだろうから、もう一度。
私は私の良いところを誰よりもたくさん知っているし、自身のことをとても大切に出来ているから、安心してほしい!