読みたいけど読みたくない!?ちょっと知って欲しい新聞と接していくポイントを1つ
もしかしたら良い機会かもですよ、「日経電子版の無料購読」
Nサロン入会の特典である「日経電子版の無料購読」
これってどれほどみんなに刺さっているんだろう?
これをきっかけに読んでみる人ってどのくらいいるんだろう?
ちょっと違った目線でこのサービスのことが気になっていました。
というのも、おそらくサロンの多くの皆さんとは真逆の環境にいるからです。
金融業界で働く自分はほぼ毎日のように日経新聞と接しています。
それだけではなく、かねてから「自分でも何か人に向けたアウトプットができるようになりたい!」
と日増しに考える様になってきていて、折しも先月ワークショップというものを初めて行いました。
その時に取り扱ったテーマこそ「新聞」だったのです。
Nサロンの素敵な授業の数々にもう一品。せっかくなのでこのサービスをキッカケに新聞というツールにも目を向けて頂くべく、新聞に対する自分が思うことをまとめてみたいと思います。
新聞って本当にメディア界の弱者なのでしょうか?
テレビやネットに比べると多くの人に見向きもされずパッシングされていくメディア「新聞」
確かに
視覚的に訴え、視聴者への工夫が施されていてとても分かりやすく受け取りやすい「テレビ」や選択性があり、いつでもどこでも好きなところまで探求することが可能な「ネット」
圧倒的な地位と役割を確立している彼らに比べると、あまりに使い勝手や効率が悪そうです。
お金がかかるし、かさばるし、堅物で難しそうで読みにくいし、字ばかりで目がチカチカするし、、、。
時代遅れのような気もしますが、
それでもしぶとく存在する新聞には、やはり何か強みがありそうです。
自分でワークをした際にとても時間とエネルギーを使った点もここでした。今後も関心を持ち続けてもらうには、参加者の方に「単に新聞の中身を知る」ことではなく「新聞は魅力的だと感じてもらう」ことが何よりも大事だからです。
そのためには、まず新聞の魅力を洗い出す作業が必要でした。新聞が身近にあって当たり前の「環境」から入った自分は、いちいちそんなことを気にして取り組んではいなかったため、この作業は自分にとっても新聞というものの再確認の機会となりました。
そのプロセスから導いた新聞の特徴と、それをふまえた上での取り組み方として1つ。
当たり前のことなのに意外と大事だと思う「毎日発刊している」ということ。
新聞だから当たり前。そうなんです。当たり前すぎて気付かないのですが、これって他のメディアにない武器なんじゃないのかなと思っています。
なぜでしょうか?
新聞は、多様な内容を限られた紙面におおよそ「均一化」してくれています。各々の記事における「事実」や「背景・原因」、「今後の動向」などを一定のボリュームにまとめてくれているのです。それも毎日。テレビやネットは新聞に比べて自由度があり柔軟性があることが強みですが、その特徴は活かされない形式と言えそうです。
そして、この「均一化」したものを「毎日」というプロセスは「習慣化」にはもってこいのシステムだと思うのです!
毎日の日記の様な。
少々脱線しますが、この「日記」というものに焦点を当ててみます。
何度も試みたのに挫折した人も結構いるのではないでしょうか?
自分もその口なのですが、でもそれは昔の自分です。今は「ちゃんと」書いています。
本文を書くにあたり、久々に自分の日記を見てみました。自分の日記の特徴は、
主に何かに気付いたり、気持ちが大きく変化した時に書き残しています。
従って、日にちは虫食い。けっこう期間が空いてた時もあれば(つまりは穏やかな日々)、何者かが身体に降りてきた様に1日に何個も書いてたあったり。
内容はせいぜい数行。映像化できないような愚痴が書いてある日もありました。
「時々」?「数行」?そもそもそれって日記か?と定義し始めると面倒くさくなるのですが、大事なことって「過去の自分に出会えるツールとなっているか」だと思うのです、日記の意義というのは。
その点では、自分の超々豆日記はちゃんと役割を放棄していません。
いくら自分のことをわかっている人がいてくれたとしても、他人と違って「自分」から放たれる言葉の説得力は絶大です。
となると、今一度考えてみたい点が浮かび上がってきます。
「ちゃんと」って何なのでしょう?
「日記=毎日つける」だと固執してしまっていたとしたら、自堕落な性格上確実に日記はここにはありません。
したがって、いざという時に「過去の自分」には頼れないということになります。合掌です。
でも、真面目な方は「日記は毎日つけてこそ」という人も大勢いらっしゃるでしょう。羨ましい限りです。
共通点はどちらも「続けられる自分だけのペースをちゃんと心得ている」ということです。
日記はわかるけど、新聞はまたちょっと違う様な。
なるほど。
新聞を読み続けるのって非常にエネルギーがいる「作業」のような気がしますよね。
ですので日記と違って、続ける「努力」をしないといけないもの。
だから続けられないと、「努力不足だ」「自分はダメだな」(新聞ごときでそこまで追い込む人はいないでしょうが)となってしまいそうですが、
そうやって「自分の問題」として捉えると確かにツラくなります。
大事なことは自分のペースを知っているかどうかでした。
だったら、新聞側のせいにして、そちらに合わせてもらいましょう。
「お前情報量が多すぎるよ」「難しいことばっかり書いてるしさ」などなど、あーだこーだと噴出するこういった文句が抑えられるところまでラインを落とします。
その代わり続ける。
毎日新聞を読む→当然不可
毎日一面だけ読む→まあ不可
毎日一面の一番大きな記事だけ読む→いやぁ不可
毎日一面の一番大きな記事の見出しだけを見る→なんとかできる
ここまで落とし込んでみましょう。
読み方にもちょっと工夫を
次に読み方なのですが、一工夫だけ。
見出しでも内容でもよいのですが、「へえ、◯◯なのかぁ」と自分なりの咀嚼をしてから飲み込んで欲しいのです。
日記は自分の頭と心を稼働させて能動的に取り組みます。一方、新聞は読むことなので下手をすると受動的になってしまうからです。
要は読んで知った気になっただけということに陥りかねません。そこで、ちょっとだけ意識的に味わうことで能動的なプロセスに変換させます。
例えば19年2月10日の日経1面記事は「貿易戦争 デフレ圧力招く」なのですが、「へえ、貿易はうまくいってなくて、ものの値段が下がっていきそうなのかぁ」
とフムフムしていただければ、それでまずは終了でいいと思うのです。
読んだと定義して新聞ポイでいいと考えています。
(※デフレの意味はグーグル先生にちょちょっと聞いていただくとして)
もしここで余裕があって、関心もあって、ちょっと気になるのなら本文を覗いてみましょう。
ただし、あくまでも「無理のない範囲で」です!自分のペースを逸脱しないことが何よりも重要でしたよね。
今回の本文では、その出だしに「米中両国」とあります。とすると、「へえ、うまくいってないのはアメリカと中国なんだ」
とフムフムしていただきます。もうこれで終わりでいいです。新聞ポイですね。
と無理のない範囲で読んでいきます。
食事と一緒、腹八分目くらいが丁度いいのかもしれません。
その代わりこれを続けて欲しいのです。
安心してください、そもそも論として、世の中の事はそんなに毎日のペースで大きくコロコロ変わっていきません。
後からいくらでも追いつけます。アニメやドラマは一話飛ばすとチンプンカンプンですが。
今回の「貿易戦争」なんてもう1年以上やってます。
だから、今日からスタートでいいのです。そして毎日でなくても続けてほしいと思います。
取り組みが起こしてくれること。
自分のペースが何となく分かった。
そして途切れ途切れだったとしても、内容は限られたものだったとしても続けてみた。
そうするとどんなことが起こるのか。
例えば翌日同じテーマの記事があった時には
「米中が貿易で喧嘩をしている」「その影響で物の値段が下がっていきそうだ」
というのは既知の情報なので、それを前提としてその記事に取り組むことができます。
その分だけ新しい情報が少なくなるため、記事を読むためのエネルギーが少なくてすみます。
新しい単語ばかりの英文は読むのに骨が折れますが、すでに知った単語が散りばめられている英文は楽に読めるのと同じです。
そうです。
新聞は読むことを続けるほど負荷が軽くなり、消費エネルギーが低減していきます!
続けられる人がより続けられ、中途半端に止まってしまう人は逆に負荷が減っていきません。
この差はドンドンひらいていくばかりです。
自転車のように初動はとてもエネルギーが必要ですが、動き出すとペダルをこぐ力はそこまでいりません。
また、もし前の内容を忘れていたとすれば繰り返しとなるので、「ああ、そうだったそうだった」とより知識が定着します。
植物を育てる様に、毎日水やり。
すると、小さな芽が徐々にでも膨らんでいく。こんなイメージですかね。
今回の特典を機に、ぜひ皆さんも知的な芽を育ててみてはいかがでしょうか。
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