「セルフインタビュー」という冗談みたいな自己紹介
セルフインタビュー※より抜粋
『トーク』 という名の 『ミュージック』
例えるならば、コミサイ3人のイベント生トークは本番ぶっつけ、音楽のジャムセッションライブミュージックのようだった。
3人で奏でる時もあれば、1人の独奏もあり、2人の掛け合いもある。
1人の演奏をじっくり聞いて2人がそこに乗っかり、1人が自然とフェードアウト。休んでいる1人はその間に違う楽器を選び取り、また進行中の曲にのっかて来る。音程がずれるような脱線トークもまた一興。
楽譜なんてものはなく会話のリズムとバランス感覚で話は進む。
その生々しいトークに参加者もリズムを乗り出し、観客席から演奏者になる参加者も多い。観客とのコール&レスポンスも重要になる参加型の音楽であると言える。しかし、そこには「ステージや壇上に上がる」なんてそんな大きな壁も高さもない感じさせない。
その場には一環として自由さとゆるさの空気感を漂わせながらも、心地よい緊張感とお互いへの敬意と礼儀が保たれ流れているのも良い。
音楽のような会話の展開なので形には残らない。しかし、今日ここに参加した人々の心には残る。「良くも悪くも終わってもなかなか帰らず、参加者同士がそこらで固まってずっと立ち話をしています」と語るコミサイ主催メンバー。
これはライブの後の心地よい疲れと覚めぬ興奮、トークの余韻が長い証拠だろう。過去には町歩きイベントなども開催しているようだ。コミサイと歩く町歩き、町の見方が変わればなんでも面白そうだ。
筆者は思う。
彼らをあなたの街に呼んでみてはいかがだろうか?
彼らになにか問を投げかけてみてはいかがだろうか?
きっとコミサイの3人は与えられたものを120%楽しむだろう。イベント立ち上げ方・軽さ自由さ、チームの作り方、現場の遊び方。そして何よりも《楽しみ方のヒント》が見つかるのではないだろうか。
ただ決して誤解してはいけない。
彼らが来たから成功な訳ではない。呼んだ土地の人間の「やる気」がちょっとでも動かないとそもそも何も盛りがらない。コミサイは風のような存在なのなので、良い土の存在があってこそ自由に風を巻き起こす。
古民家をフックに外からの視点「風の人」として土地に根ざす「土の人」とともに「風土」の形成を試みるチーム
『コミサイ(信州古民家再生プロジェクト)』
コミサイは信州古民家再生プロジェクトの略ではあるが、筆者は勝手ながら『コミサイ=コミュニケーションの再生』でもある気がするがどうだろうか。あなたの目で耳で確かめて頂きたい。参加すればきっと分かる。今後とも各地域とのジャムセッションの動きに注目したい。
きっと大きなコミサイ(祭)になる期待を込めて。
コミサイとは、
石田 諒 (Ryo Ishida)大越 要 (Kaname Okoshi)宮下 広将 (Hiroyuki Miyashita)以上の3人組である。
※実際誰からもインタビューは受けてません
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あとがき 『コミサイって何?』
3年前に大越要、石田諒、両氏に出会えて純粋に良かったと思います。
私、宮下広将はコミサイとは別に民泊「おみやど」の宿主をやっています。出会った頃ちょうど今の「おみやど」となる前の、ただの築100年古民家に引越しをした時でした。
引っ越したばかりで周りが見えず、これから宿を準備して始めるドキドキとソワソワしている絶頂の時でしたので、今から考えれば超変態変人だった事でしょう。上に挙げた2人に出会ったのはそんな頃でした。年はそれぞれ離れているけど、変態状態の自分をすんなり理解、というより解読してくれたのが2人です。
大人になると【友達】ってなかなか出来ないけど、あの2人は友達です。と今は胸を張って言えます。
仕事はバラバラ、趣味も別々、普段の打ち合わせはほぼチャットで済ましています。だからイベント開催日に久しぶりに会って話しをするとすごい楽しい。
コミサイはオフィシャルページもなければ、フェイスブックページもない。ましてやロゴもありません(何もないけどコミサイポーズはある。)何も持たずに古民家をフックに3年間で約50回のイベントを開催してきた。
原動力は「ただ楽しむことから始めるだけ」
コミサイは何をしている団体ですか?
よく聞かれます。答えるのに30分間は要します。コミサイとは〇〇のような団体です、と言えるような〇〇事例がなかなかありません。分かりやすく伝えたいけど伝わらない。
1番理解していただけるのがイベント参加になります。
現場が1番伝わりやすい。『現場力』コミサイ。
イベントに参加していただくとコミサイが何者なのか分かりますよ。とお声掛けしています。とそれだけ聞くとへんな集団作って、会費で収益上げてる団体と思われるかもしれません。ノンノンそんなことはなく、実際参加費は毎回500円です。3人の交通費くらいにしかなっておりません。
コミサイは金じゃない。
何も持たないからか、何も資金は生み出さなくても良い。
3年経過して4年目に突入。次第に見えてきたことは自分たちが3年間やってきたことの意味。『じゃあなんで続けるの?』その意味についてはまた違う記事で書くことにします。
とにかくコミサイは楽しい。コミサイは新しい。即興性が気持ちよい。コミサイはライブだ。演奏者と観客が織りなす楽譜のないジャムセッションだ。
自分たちで自分たちをインタビューする。誰もこないので自分たちでやる。キャスター、コメンテーターではなく、すぐにでも誰にでもなれるメディア露出。言ったもん勝ちやったもん勝ち、好きにやればいいさ。他人を誹謗中傷するくらいなら顔出して発言している勇気を持ちたい。
コミサイ共同代表 ヒロ(宮下広将)でした。