森の樹木に代わるもの
中世のヨーロッパでは、木材が主要な燃料としてさまざまな産業から必要とされ、価値の高くなった森は保護・管理されるものとなりました。
森では樹木が搾取されていく一方、皮肉なことですが、大きな戦争や疫病によって森は回復されてもいきました。
近世に入り、世界の海をめぐる覇権争いが始まると、今度は政治的な問題に樹木が関わってきます。
商船はもとより、力のある海軍を持つ国は軍艦を製造するために良質で長さのある木材の獲得に乗り出します。
中でも、森の少ないオランダでは木材に対する需要が増大していました。
造船に限らず、アムステルダムのような街の建設には建物の土台を固めるため、焼きを入れた木杭用の長大な丸太が必要とされたそうです。
当時のオランダは、膨大な木材の需要に応えるに十分な経済力を持つ豪商が大勢いました。
ライン川を筏流しで運ばれる「オランダ人の木」は、はじめはケルンやマインツを経由していたものの、18世紀には供給地であるシュヴァルツヴァルドとの直接交易が定番となっていきました。
今では考えられませんが、この木材の輸送には通常2年ほどかかっていたそうです。
ちょっと寄り道
オランダのリーフデ号が日本に到着したのが1600年。長崎にオランダ商館が設けられ幕府との朱印船貿易が始まったのが1609年。
なので日本XX交流年というイベントでは、アメリカやドイツが160周年とかいってるのにオランダとは400年とかって…なんとも格の違いを感じる。
このような経済的な面から、ヨーロッパでは燃料用の低木林から、資材用の高木林への人工造林への移行が進みます。
低木林は主に広葉樹からなっていて成長も比較的早いのですが、経済価値の高い高木林は針葉樹がメイン。収穫に100年はかかるうえ、人工的に作られた森は樹種も少なく虫害への耐性も弱かったそうです。
さらに近代に向かうと、今度はさまざまな道具や機械が木製から鉄製へと代わっていきます。
石炭という燃料と鉄という原料が結びついて工業化が急速に進んだ産業革命。そのきっかけには木質資源の不足という側面もあったようです。
産業革命初期の主産業であった繊維産業においても、最初の紡績機は大部分が木材でできていました。機械の発明者はなんと大工だったのだとか…
木材による道具や機械には、まだまだ人の手が必要とされていましたが、あらゆるものが徐々に鉄製に置き換わっていきます。
樹木を材料として扱っていた頃は、使う職人が作業用の道具も作っていましたが、機械が機械を作ることが可能になると、機械づくり職人や機械技術者という職能が生まれてくる一方、鉄製機械を使う労働者は自分で機械を作ることができなくなります。
材料としての木材の衰退によって、手工業的な生産方式が失われ、機械化の進んだ工業の時代がやってきます。
さらに工業化を推し進める蒸気機関が発明されると、木の時代に終わりを告げるかように、蒸気船や鉄道が誕生します。
驚くことに、船を鉄で造るようになったきっかけは森林資源の不足。
木炭を使用しない製鉄業の発展と、木質資源の枯渇から19世紀の初頭にイギリスで鉄製の船舶の建造が始まるのです。
木材の代替として鉄が利用されたとはなんとも驚きです。
もうちょっと寄り道
1853年に浦賀に現れた黒船は木造の蒸気船。防水・腐食防止用に塗られたピッチの色が黒船の名前に由来しています。
鉄道はまさに鉄ありきの社会インフラですが、その創成期には実は多くの木材が利用されていたそうです。
とは言え、木材の主な用途であった燃料は薪から石炭へ、車両も木製から鉄製へと代わっていきます。
しかし、鉄道産業において全てが鉄に置き換えられたわけではなく、木材は防腐剤としてタールを注入された枕木という形で使われ続けていきます。
2004年に大友克洋監督のスチームボーイという映画を観ました。スチームパンク的なSF冒険活劇でその評価は様々ですが、何と言うか、19世紀の新しい動力機関に対する大きな夢(妄想)を感じました。
実際はこの時代に公害が深刻化し、再生不可能な資源の利用が始まっていくのですが、当時の人々も(こんなにぶっ飛んでなくても)果てしない可能性に夢を見たのかもしれない…と思うと何だかワクワクしてしまいました。
まあ、何はともあれ、蒸気機関でこんなの動くんかい!と楽しく突っ込んでください。
今までのヨーロッパ旅行では、城や美術館を多く巡ってきましたが、これからは産業博物館とかも行ってみたいです。(とは言え、いったいいつ行けるようになるんだか…)
参考文献:
木材と文明 ヨーロッパは木材の文明だった
ヨアヒム・ラートカウ 著
第三章 産業革命前夜―「木の時代」の絶頂と終焉
2022年1月20日 大寒