インスタのストーリーは心の栄養と生きる時間を吸い取る

インスタのストーリーはなんとも気楽で使い勝手がいい。
その瞬間をなんとなく投稿したり、何か写真にコメントをつけて投稿しても、気が付けば勝手に消えてくれて、干渉する必要がない。
しかしながら、ホーム画面に流れてきたお友達のアイコンがピンクに光っていれば今しか見れないという思いから、ついつい開いて、次々と順繰り見れるシステムにより、気が付けば多くの時間を費やしている。
そして干渉しなくていいはずの消えて行く自他共の投稿に、ずいぶん私の心は振り回された覚えもある。

SNSはこの社会におけるジャンクフードみたいなものだと幸せ学者がYouTubeで話していた。

私はどれだけ心の栄養と生きる時間を費やしてしまったのだろうか。
負債、というか、肥満?
SNS肥満です。

そんな風に、肥満から脱却するためジャンクフードを控えることにした。
具体的には、インスタグラムで人と繋がるのを、辞めることにした。
人との付き合いは対面でこそ満たされるものだ。
そうまでして会いたい人には直接会うべきだ。
目の前にいる人をもっと大切にするべきだ。

SNS肥満になって気がついたことは、この蓄積された脂肪(ストレス)は無責任な数々の言葉たちによるものだと思う。
発言の自由を象徴したSNSに面食らった。
自由すぎて、言葉の無法地帯。何言ったって許される世界。ストーリーやX、@・・・なんか、最もその象徴。

SNSは総じて、言葉の扱いを軽んじている。
人は言葉でコミュニケーションをとる生き物だから、言葉選びは軽んじてはいけない。
対面だと、表情、雰囲気、場所、いろんな物に左右された上での選りすぐりの言葉を掛け合う。些細な発言でも後悔したり、うまく伝えようと必死になったり。
言葉選びに、そういう努力がある。

電話、メール、そして匿名のSNS。

対面から距離を取れば取るほどに、言葉の扱いが軽率になっていく。

自分の中だけで記録したい思いは、本棚にある自分の日記帳へ。
共有したい思いは、せめてこのnoteへ。

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