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★自己紹介★ こみち はな

こんにちは!はじめまして。
ご訪問ありがとうございます。

こんなお仕事


私は、難病を回復したCacerCanceler、3度目の結婚で婚活成功。
愛と健康の人生をクリエイトする願望実現ライフコーチ
こみち はなです。
CacerCanceler(キャンサーキャンセラー)は、簡単に言うとがんの細胞をキャンセルして、新しく健康な細胞に入れかえる人です。
そして、スピリチュアルライフコーチと願望実現ノート術講師を合体して
願望実現ライフコーチとして活動しています。

私は横浜生まれ、千葉県在住23年。

人生の変わり目


2度目の結婚をしてから6年がたったころです。
自分がこのままこの人と生涯パートナーとして生きていくことが、果たして自分にとって幸せなのかと思い始めたのです。
いざ、小学校3年生の息子を抱えてシングルマザーとして生きる道と、ここまま愛のない毎日をこのパートナーと一緒に歩むのか、どうすべきなのか?自分の心に問いかけ始めました。
私は、以前からナポレオンヒルの「思考は現実化する」という本を何度も読んでいました。
そこには、現実は全て自分の思考から創造されていると書かれていました。
私は、自分の人生は自分で創っていける、創造できるのだったら、離婚という選択をしても、わたしの意志次第でいかようにも人生をクリエイティブしていけると信じたのです。

離婚を決意


そして、2度目の離婚を決意しました。
離婚を決意し、仕事、住む場所を探そうとした矢先です。
当時、専業主婦だった私ですが、タイミングよく派遣会社から電話があり、「現在のお仕事状況はいかがですか?」との連絡をいただいたのです。
なんと、とんとん拍子に、正社員のお仕事が決まりました。
そして、住む場所についても、離婚を決意した日に、不動産屋さんを訪ねると、その日の午前中入った物件が私の希望にぴったりだったのです。公表前だったので、即決でした。
離婚を決意したとたん、私の前途を応援するかのようにタイミングよく、お仕事、住居が決まったのです。
そして、新しい職場、新たな住居で息子と二人の生活が始まりました。
私は、自分の人生を自分の意志のみで作り上げていくことに喜びを感じていました。
しかし、2度目の夫は別れた後、私が住んでもいないマンションの借金を私に押し付けてきました。当時シングルマザーで子供を育てていた私にとっては、青天の霹靂であり、怒り心頭でした。しかし、以前旦那と住んでいたマンションの連帯保証人の押印をした以上、私にも責任はあるので、残金を支払いました。

シングルマザーからの変化


そして、シングルになった私はある男性に恋をしました。私にとっては雲の上のような人でした。
しかし、私はこの人と必ず結婚するという思いだけは揺るぎのないものがありました。
その人に選んでももらえるような女性はどんな人なんだろうと考え、自分なりに出した答えをもとに行動していきました。
彼を思い続けて、2度目の離婚後、およそ15年の時を経て、彼と結婚をしたのです。私は、本当に幸せでした。私は彼にふさわしい女性になろうとずっと思いながら、一日一日を過ごしてきたのです。
彼は私に仕事をしてほしくないといい、専業主婦でゆったりと家で好きな事をしていいと言ってくれます。生活するのに十分なお金もあります。
いままで、味わったことのない金銭的、時間的、愛情的な豊かさを全て手に入れました。

あー、こんなことが起こるなんて!!

ところが、
そんな生活の中、私は乳がんを告知されたのです。
告知後、がんの切除手術を受けました。しかし、その後ガンの標準治療を私は受けないと選択し、自分で探した代替療法に取り組んでいましたが、術後1年半年後、再発してしまいました。そして、ステージ4、骨に転移し、起き上がる事、走る事がままならない体になってしまったのです。当時は灯油ストーブの灯油缶を持ち上げることが出来ないほど、病気の進行により腰骨が溶けていたのです。
しかし、絶対にもとの健康な身体に戻るんだ、大好きな人を残して死ねない、との強い思いから、絶対にこの乳がんを克服すると決めたのです。
わたしは、必死で情報を探しました。なんとか、がんの標準治療に頼らず回復するすべはないのか、いままでやってきた温熱治療、針治療、食事療法をすべて見直し、何とか回復する方法はないのか懸命に探したのです。
すると、がん生活指導をしている先生と出会いました。そして、その先生の生活指導を受け、忠実に実行をしてきました。
当時は同時にホルモン治療も始めたばかりでした。
体の副作用で体はどんどん弱まっていきました。日中でもよくベットで横になっていました。
それでも、生活指導の教えを毎日実行してきたなか、腰の痛みは日に日に緩み、7月にCT検査で溶けて空洞化した腰骨は12月には空洞は小さくなり、確実に骨が形成されていました。異常値だったがん腫瘍マーカーは12月の検査結果では、正常値内になったのです。

変化してゆく体


そして、12月から断薬し、いまでは自然食品、天然成分でできたサプリを取り入れながら、ジョギングや畑仕事、孫を抱っこしたり、おんぶしたりできるまでに回復したのです。
一度は病気で死んでいくのかもしれないと恐怖を感じていましたが、いまは、脱出した思いです。
わたしは、生きられるのだという確信に変わりました。
私は、大病を経験することで気づけたことが沢山あります。
人は沢山の人の愛情を受け取って生きていること
結婚後、しばらくした頃、旦那の愛情に疑問をもった私は悲しみを心に抱えていました。
しかし、病気を通して、彼は私を絶対に病気から救い出したいとの思いを見せてくれて、本当に心から感謝をしています。思い出すだけでも、目頭が熱くなります。
そして、医療についても、それだけに頼らず、情報収集することの大切さを感じます。
いま、私は、死を直面しながらも、がんは回復する病気であることを体験しました。
がんは治らない病気であるとの認識は薄れつつあります

私の使命


私は今までの経験を通じて薬や医療行為のみに頼り切らず、ご自分の体をご自分の体で健康になること、そして、かつて私が母子家庭で生活していたような、行動するのにも窮屈な社会ではなく、どのようなライフスタイルであっても、個々人が容認されるような社会づくりに貢献していきたいと考えています。

そして、死の恐怖を味わった私と同じような状況にいる方に、そして、乳がんの方がご家族にいらっしゃる方に勇気と生きる希望を届けられるような、そして、病は気からといわれるように、考え方を深堀りし、本当に輝く人生を生きるお手伝いになるような発信をしたいと思っています。


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