作品の品質とプロモーション
作曲している友人が、同業者とマーケティングについて情報交換をしていたら、居合わせた作曲家志望の少年に、
「さっきから、おじさんたちは、マーケティングの話ばかりだ。作曲の話をしていない。きたない大人だ」
と言われたそう。友人は自己嫌悪に陥ってましたが、いいと思うんです、マーケティング。
「作品をつくることと同じぐらい、マーケティングって面白いんだよ」って少年に説明できたらいいなと。
「収入がないと、創作活動を続けられなくなるぞ」という、脅迫なのか、窮乏の訴えなのか、よく分からない大人の事情を突きつけ、「現実を見ろ」と説教するのは最悪。
ほかの手を考えましょう。
都市伝説なのか本当なのか知らないけど、死後に初めて価値が認められる芸術家がいる。思考実験のサンプルとしては面白いけど…、それって不幸じゃないか、とぼくは思う。
まーったく時代の文脈から孤立した芸術を、自分の感性だけで作ることができる。もしくは、この人に従っておけば、絶対にいいものが作れる!っていうメンターがいるなら、別ですよ。
でも、自分の感性には限界があるし、独学の表現者は、フィードバックを受けることが大事だと思う。
SNSなどの発達した現在、小刻みに再生数や購入数のフィードバックを受けながら、作品を「みんな」で練り上げていくことができるんだから、その道具を使えばいいじゃん、て思う。べつに、挫折とか割り切りではなく。
文化史の授業で、孤高の天才みたいに扱われるひとだって、各時代の雰囲気や制約条件、使える環境や道具に依存していたはず。たまたま、時代を超えて残った、そんで、「孤高の天才」というレッテルを貼られた。それだけのことじゃないか。
タイムマシンがあったとして、「孤高の天才、死後に開花」とされる芸術家に、「あなたは、品質のためなら、プロモーションを犠牲にしてもよい(誰にも見られなくても認められなくてもよい)と思ってますよね」って質問したら、殴られそう。「見てもらいたいし、届けたいし、認めてくれ」って言うんじゃなかろうか。
作品の品質とマーケティングは、分けられないもの。むしろ、マーケットのフィードバックを活用して、作品の品質をあげてやろう。
というのが、ぼくの考えです。