チームじゃない
チームじゃない。良くも悪くも個人商店。チームとしての生産性をあげよう、メンバーがへばっていてケアレスミスを連発しているなら、自分がカバーに回るか、上司や教授にカバーしてねと言うか、同輩にカバーしようと呼び掛けるというのは不適切な行動。そういうルールでは動いていない。成果が出ようが、へばろうが自己責任。フリーライドもまた必ずしも悪手ではない。むしろ協力を願い出て、「なぜ私が協力を受けるのか」に合意してもらうほうがコストが高い。ならば見て見ぬ振り、個人としての成果を追求するのが正解。相手の仕事を増やして潰しかねない動きであっても、自分が成果を出すために必要ならば避けない。「失敗しちゃえ」という意思が自分の内側にないことは必須だが。
雰囲気が悪いというのは共通のテーマ。当人が先生から任された「読み終える」という目標に押しつぶされ、粗雑に強引に読み進めようとし、後輩の育成という目標を放棄しているならば、それに沿う発言をするのみ。
当人が仕事先にストレスをかけられ、無関係の出席者に当たり散らし、グチを言っているならば無視してよい。それを受け止めいたわっても、それに対する御礼や和みがないならば、スルー推奨。みずから危険なカードを広いにゆき、「はしたない」と手の甲を叩かれるのは、何が何やら分からない。
つかず離れず。人間関係の黄色信号がともっているならば距離を調整できるというのが大人としての経験の賜物。自分がどこまで人間関係のノイズに耐えられるか。そこの容量が少ないならば、あえて不得意なことに関与してはならない。アドラーのいう課題の分離が顕著に機能する環境であることを心得よ。
良くも悪くも、1年が経過する。参加できて嬉しい、並べて嬉しい、発言できて嬉しい、有益な発言が採用されて嬉しい、メンバーの一員として濃密な人間関係に組み込まれて嬉しい、という段階を経て、ノイズを過剰に感じるならば、からにこもって距離を取るべし。さいわい殻から引っ張り出すような動きはない。圧力はない、押し出すような。正式に入学しても、距離を保ってオンラインで出席し、さまざまな雑務を免除されるのはアリ。
心理的安全性の希薄な…というか、そもそもそれが目指されていない場所であることを認識し、自分自身で完結するもの、及び先生と一対一の関係だけに留意すれば余計な苦しみは不要である。研究室全体の生産性を意識する必要はない。これ大事。ともすれば誤解しそうになるから。
雰囲気が悪い勉強会であれば、無言となるが理由をつけてフェードアウトするのも選択肢として入る。