見出し画像

NHK特集 私は日本のスパイだった~秘密諜報員ベラスコ~ を見て

NHK特集 私は日本のスパイだった~秘密諜報員ベラスコ~

日本では情報が軽視されていた。それは今も変わらない。

なんとなく録画してみたNHKの昔のドキュメンタリーだったが、データ分析の仕事にも思い当たる興味深い内容だった。

東情報とは

第二次世界大戦中、軍事暗号はアメリカに解読されていたのはよく知られた話だが、アメリカ軍が解読した暗号の中に、東情報と言う伝聞があった。少なくとも二十人のスパイをアメリカに展開しており、発信人はスペイン公使の須磨、という。

東情報というのは、スペイン公使だった須磨と三浦一等書記官立ち上げたスパイ網からの情報だった。スペイン公使の須磨がアメリカにスパイ団を組織してほしい、という依頼をしたのがベラスコという諜報員だった。ベラスコは十人ぐらいのスパイを組織のカモフラージュのためアメリカに配置し、サンディエゴに本当のスパイを配置した。得た情報はメキシコ経由でマドリードに送り、日本公使館から東京に情報が渡る、という仕組みになっていた。

かなり精度の高い情報を持っていたようで、例えば
- 1942年8月13日「東」情報。米海軍はソロモン諸島の上陸作戦については、相当の犠牲を払ってでも作戦を続行する覚悟を固めている。
- 1942年8月14日「東」情報。ソロモン諸島に上陸した部隊が後一ヶ月持ち堪えられるなら、米軍は強力な増援部隊を派遣するであろう。
- 8月31日「東」情報。米軍は太平洋の島々の占領計画を策定。米海軍は当面戦力を太平洋方面に集中する計画。そのため、大西洋方面が手薄になることに、米国から非難があがる。
など、米軍がガダルカナルに本格的に上陸するつもりであるという、確度の高い情報を提供していた。

無視された東情報

一方でこれらの情報は、日本軍の中ではほとんど考慮されていなかった。無視されていた、といっていい。日本軍は米軍のソロモン諸島への上陸を本格的な反撃と気づかず、兵力を逐次投入した。結果的に一木支隊などが全滅。当時の情報参謀、実松譲はこの情報を見ていない、初めて知った、とインタビューで答えている。作戦参謀だった高山信武によると、ドイツなどから来る日本に有利な情報を重視していたそうだ。

ベラスコは、日本は情報の使い方が下手だった、と言う。

一人一人のスパイには情報の価値はわからない。情報の価値のあるなしとは別に情報収集に全力を尽くすだけだ。組織の中心にいる私には大体その価値がわかった。ソロモン諸島の戦況を見ているとどれが重要な情報かすぐわかった。日本は情報の使い方が下手だ。利用の仕方を知らなかったか、それとも情報を利用するのが嫌いだったのだろう。情報がどんなに大切かを知っている人もいただろうに。

当時の太平洋艦隊情報参謀エドウィン・T・レイトンも、インタビューでこう答えている。

戦時中私は日本にもちゃんとした情報組織があると思っていた。しかしガダルカナルでの日本のやり方、つまり・・ポツポツと少しずつ兵力を投入したのを見ていると、日本には情報部があったかどうか怪しく思えてきた。戦後日本の防衛庁が発行した「戦史」を読む機会があったが、日本の連合艦隊にはなんと情報参謀がいなかったのだ。通信参謀や暗号参謀は確かにいたが、情報を効果的に使うためには司令官直属で情報を把握し判断する人間が必要だ、私のような。

特にレイトンの「司令官直属で情報を把握し判断する人間が必要だ」という指摘は興味深かった。70年以上も前から、アメリカでは情報を分析する人間がトップの人間に重宝されていたことがわかる。日本はそうではなかったようだ。そしてどうもこの状況は日本の組織では現在も続いているように思う。

個人的に似た経験をしているからだ。

情報にまつわる個人的な体験

現在自分は世界的に有名なIT企業に勤めている。いわゆるGAFAというところだ。データ分析や機械学習・AIを活用する会社として、世間的には有名だ。確かにそうなのだが、日本オフィスでは少し状況が違う。
入社当時はアメリカチームに直結しているチームにいた。当時日本オフィスの責任者に聞いたのだが、その人が上司に言われたのは、この会社で成功するには良いデータアナリストを右腕にみつけることだ、と言うことだった。グループ内でもデータを扱える人間は尊敬され、丁重に扱われていた。

数年後社内異動して、日本人が多い組織に移った。グループの人間9割超が日本人、上層部も日本人、と言うような組織だった。ここでは旧日本軍と同じように、データ分析の専門家、というポジションがなかった。データアナリストとして異動してきたのだから、同じタイトルなのだろうと思っていたら、プロジェクトマネージャー(PM)と言うポジションに変更されていた。

この組織ではデータ分析=SQLでデータをとってレポートを作る、と言う状況だった。なので特別にデータ分析や機械学習のスキルを持っている人ではなく、日々のオペレーションに詳しい人が、SQLを覚えてデータを取る、という状況だった。まさに旧日本軍のように、作戦参謀が情報も含め全て決める、分業はしない、という具合だ。

その後また社内異動して、海外直結のチームに移った。このチームは異動する半年前に日本の組織と海外中心のチームが合併してできた組織だった。ここにはデータ分析専門のチームがあった。旧日本チームが面白くて、もう何年もデータアナリストを採用していなかった。代わりにSQLやスクリプト言語が書ける派遣社員を雇って、基本的には自分たちでSQLを書く、難しい時は派遣社員にSQLを書くように依頼する、手作業はエクセルマクロやPythonで自動化してもらう、内容は業務に詳しい正社員が全て指示を出す、という扱いだった。

誤解しないで欲しいのだが、派遣社員が悪い、というつもりは毛頭ない。この組織で何が起きたかというと、上流のデータの整備が一切されず、下流で自動化ばかりしていたので、よくデータが壊れた。派遣社員たちがいなくなって、結局手作業に戻ったか、自動化を作り直すことになった。情報に投資しない、と言う日本組織の典型的なパターンだと思った。レイトンが言うように、「通信参謀や暗号参謀」、この場合だとデータを取れる作業者しかいない、という状況で、データをとって分析し、事業部門トップ直属で情報を把握、判断する人は雇っていなかった。

なぜなのだかわからないが、日本の組織というのは戦後70年経っても、情報への価値が低く見られるか、情報を扱える人をあまり重宝しないようだ。何か日本人独自の思考パターンや行動パターンなど、どういう仕組みなのかわからないが、そうなってしまうのかもしれない。

ベラスコ余談

ドキュメンタリーでは最後に、ベラスコが三浦一等書記官からの録音メッセージを聞いて、昔を思い出しながら涙を流すシーンがある。「我々のあの夢と力、それらはどこに消えたのか。なんて無駄な努力をしてきたんだ!」と憤って終わるシーンが印象的だった。

日本のデータアナリストの叫びにも似ている、と思った。

いいなと思ったら応援しよう!