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ある深夜の談話室での会話 「お金をもらうことについて」
どういう問題なのかが浮き彫りになっただけ、解決はなにもしていない、だらだらとした、しかし自然発生した楽しい会話、を元にしたお話。気の短い方にはおすすめしません。厳密な言葉遣いもしてないし、出典があるような無いようなお話。僕とKとの会話が進みます。
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「最近悩んでることがあって・・・ なんかこう、お金をもらうってことに後ろめたさを感じるというか、申し訳なさを感じるというか」
K「え、それってどういうことですか」
「なんていうか、たとえば僕が料理してみんなでシェアするときに、材料費以上のお金を請求できないとか。」
K「それはありますね」
「なんなら材料費考えたら赤字になってしまうような割り勘をしてしまう時もある」
「ほかにも、今スパイスいっぱい持ってるからブレンドして売ってみようと思ってるんやけど、なかなか実際に売るということに踏み切れない、とかね。」
「ボードゲームでもそんなところがあって。ボードゲームってwin-winな取引を重ねていくのがコツだと思うけど、なんだかそれは落ち着かないんだよね。win-lose、相手が得して自分が損する、そういう取引をしてしまう。かといって、そういう取引をして嬉しくなるわけでもないんやけど」
K「そういう自分が多くもらうことに抵抗があるのはわかりますね。逆にコメさんはどういう人・ものにだったらお金を払いたいと思うんですか」
「その質問は、僕の答えを聞いて、だったらその答えのようにすればいいじゃないですか?という流れを想定しているような気がするんだけど、僕の答えはほぼ相手から見た自分にも当てはまることやと思う。大量生産されたものより手作りな感じがするものとか、デザインがいいものとか、自分が応援したいなと思う人とか。親しい人には設けてほしいから多く払いたいな」
「でも、自分が作ったものを誰かに買ってほしいときに躊躇してしまう」
K「それって悪いことじゃないですよね。それこそ『プロ倫』じゃないですけど、宗教改革以前はお金を稼ぐということ自体が忌み嫌われていた。でもプロテスタントでは勤労による蓄財が良しとされて資本主義の礎となった。現代はネオリベ社会で、稼いでるやつは成功したやつだからいいんだ。格差が広がろうとそれは成功した結果だから仕方ない。そういう流れでいうと、お金を稼がないといけないという考え方は限定された時代の思想なんで、あんまり悩まなくていいんじゃないですか」
「僕は大儲けしたいわけじゃないけど・・・(笑) 生活の糧くらいは欲しいわけじゃん。サラリーマンじゃなくて自分で稼ぐ方法を身につけたいから悩んでしまうな」
「今のところクリティカルな言説を見たことがないんだよね。アドバイスをもらうこともあるけど、あまり響かない。たとえば、自分と考え方が近い友達からもらったアドバイスで、コミュニティの中で経済を回さないとそのコミュニティは死んでしまう。だから、自分が経済を回してやるんだというつもりになって、いっぱいもらえばいいんだよ、とかね」
K「うーん、でもそれってコメさんの悩みの本質じゃないですよね。稼ぐということのメリットの説明にしかなっていないというか」
「まあね。ほかにも、これまで自分でお金のやり取りをするということをしてきたか、してこなかったかの違いだよ、とも言われたな。これはアドバイスでもなんでもないけど」
K「そうですね・・・ 僕の個人的な経験を話すと、子どもの頃からうちの家庭ではお小遣いというのはなくて、なにか労働をして、その対価としてお駄賃をもらうという形だったんですよね。お風呂洗ったらいくら、ご飯のおかず1つ作ったらいくらみたいな。そういえば、ちょっと手のこんだご飯を作ると、自分の思ってる以上にお駄賃もらえてびっくりした記憶あります」
「いい教育方針だね。うーん、うちの場合は全然違ったな。うちの親は子供になるべくお金を触らせないようにしていたのか、お小遣いはなくて、欲しいものを親に言って許可されたら買ってもらうという方針だったな。印象に残ってる事件があって、お年玉かなにか貯めたお金でゲームソフトを買って帰ると怒られて返品させられた」
K「うちはお金の使い方に関しては基本的に無干渉でしたね」
「なんだか、自分はなるべくお金に触れないように育てられてきた気がする。お金は汚いものだってイメージを持ってるし」
K「自分の知ってる人には多く払う、けれど相手からは少なくもらう、というのは、うーん、日本人の美徳なんじゃないですか」
「主語が大きいなあ(笑)うん、現代日本人には割と広く共感できるんじゃないかな。あんまり長い歴史の民族性だとは思わないけど。戦後以後とかそんくらいじゃない」
K「それくらいですかね。まあ、日本人が共通して感じるだろうから悩むことない気がしますけれど・・・」
「うーんとね、確かに自分の感覚がマジョリティに属するものではある。そういう点では悩んでいないな。僕が悩んでいるのは、サラリーマンじゃなく自分で稼いで行きたいと考えているという前提があるからなんだ」
K「どういうことですか」
「相手に多く払うけど自分は少なくもらうって発想が成り立つのは、その取引が収入にならなくてもよい、つまり会社からの収入があってそれをどう使うか、という視点だからなんじゃないかな。一方、自分で商取引をしないといけない場合、つまり取引から生活の糧をえないといけない場合、そういう考え方だと自分の資産が目減りしていくだけじゃん」
K「そうかもしれませんね。うーん・・・」
1分間の沈黙。
「解決はできなかったけど、すぐに解決できる話でもないんだろうけど、問題を浮き彫りにできた。僕が悩んでいるのは、自分で稼ぐという生き方をする上で、日本人的取引の美徳とどう付き合っていくのか。どう相剋していくのか。」
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こんなところで会話は幕引き。深夜にコンビニ行ってカップ麺食べましたとさ。
有料設定してありますが、無料で全文見れるようになってます。投げ銭待ってます、ということですね。
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