鈍くあることの難しさ、繊細でいる事の尊さ
虎に翼のスペシャル特番を見た。米津玄師さんと伊藤さいりさんが対談していた。オープニングの「さよーならまたいつか」の歌詞から、言葉を大切にすることの大切さや、どのような理由で言葉を選んだのかについて話していた。
米津玄師が言った言葉が印象に残った。
自分は男性だから女性(主人公)の立場に立って考えるのは乱暴だと思った。でも神様のような第三者視点でいるのはできないと思ったからなるべく女性視点になりながら、自分がうけた理不尽や苦しみを思い起こしながら作った。乱暴な言葉を入れないとこのドラマの主題歌として成立しないと思った。
純粋な疑問からくる怒り、ままならなさを感じるドラマにピッタリな曲だと思った。そして繊細な感性からこの歌は生まれたのだと知った。
少し前まで繊細であることが良くないように感じることがあった。現代社会では、繊細であればあるほど傷つき、苦しみ前に進むことが難しい。図太く鈍感なほうがあらゆる場面で生きやすい。そう考えていた。
今もそう考えている。けれど、前と変わったのは繊細でいる事の美しさもあると感じるようになったことだ。
嫌なことが深く突き刺さる分、豊かな感性で様々なものに興味、感動を感じることができる。その幸せを感じることができるようになってから、繊細でいる事=弱いこと ではないと思うようになった。
この世の中強いか弱いかだけで良し悪しが決まるなら、生きる価値がないのではないかと思う。そんな世の中だったらシマウマはどうなる。ライオンより力がないからシマウマは悪いのか。女性は男性より力がないから価値が無いのか。そんなことはない。
なんでこの世に俳句や歌や映画があるのか。感情を表現してそれを受け取って美しいと感じる人がいるからだ。今の社会を生きていくには図太さは多少必要かもしれない。でも繊細さがなければ日々を楽しむこともできないのだから、そんなことは感性を失うくらいなら気にしない方が良いと思う。
苦しんでいる時に歌が救ってくれるのはそういうことなのだと思う。
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