車いすバスケ2024天皇杯① ~選手紹介編~ KOMEHYOサポートチーム「ワールドBBC」と天皇杯
2月3、4日に行われた、車いすバスケットボール天皇杯には、KOMEHYOがサポートしている「ワールドBBC 」も出場しました。今回は、そのチームに所属しコメ兵に勤務もしている3人の選手のインタビュー記事を掲載します。なお、試合のレポートはこちら👇https://note.com/komehyo/n/n8253764bed4e
KOMEHYOで働く選手たち
ワールドBBCには、サポートを受けるだけでなく、実際にKOMEHYOで仲間として働く3人の選手が所属しています。
#14大島選手はコメヒョウルークスと総務部を兼務、背番号#12冨永選手はKOMEHYOの品質管理を行う商品センターに、背番号背番号#19の児玉選手は総務部に勤務しています。
背番号#14 大島美香選手
勤務先:コメヒョウルークス
車いすバスケ歴:29年 持ち点1.5点(天皇杯は0点)
大島さんは、パラリンピックには96年アトランタから08年北京まで4大会連続で出場、00年シドニー大会では銅メダルを獲得したという華やかな経歴を持ちます。
そのうえ、フルタイムで仕事をし(昨年度は新会社であるコメヒョウルークスの立ち上げに関与)、1児の母でもあります。競技と仕事、そして子育ての“三足のわらじ”を履くスーパーウーマンです。
そんな大島さんと車いすバスケットとの出会いは、もう思い出せないくらい小さな頃。小学校の卒業文集にはすでに『車いすバスケの代表選手になる』と書いてたそう。そして、大学進学後にプレーヤーとして本格的な活動を開始。その後、努力とキャリアを積み重ね、日本代表として4度のパラリンピックと、4度の世界選手権で活躍しました。
北京後に一度、第一線から退いたものの、15年に代表復帰を果たし、強化指定選手として代表活動を継続し東京パラリンピック出場を目指しました(24年現在は代表活動は行っていない)。
「北京大会で負けましたが、やりきった感があったせいか、めちゃめちゃ悔しい! とは思えない自分がいたんです。だから辞めました」。サバサバした大島さんらしいといえば大島さんらしい思い切りです。勝利に対する貪欲さが足りないのであればチームの勝利に貢献できないので退こう、という決断だったといいますが、「でもその後、女子バスケが世界で勝てない時期が続き、パラに出ることもできない状況を見ていたら、悔しくなってきて!」、ちょうど東京パラへの強化合宿へむけて招集がかかったこともあり、復帰を決意したのだそう。
「でも、行ったら行ったで20代の選手と同じだけのフィジカルトレーニングのメニューをこなさないといけないし、やり切れるかどうか綱渡りのような気持ちだった」と言います。残念ながらケガが原因で東京パラは最終選考を辞退することとなりましたが、「その練習をやり切れたことが今の自分には大きな自信になっている」というのですから、そのハードさはいかほどのものだったのか、想像するだけで恐ろしいです・・・。
今回の天皇杯では、それだけの過去が裏打ちする自信を身に着けた、ベテランプレーヤーがチームに与える影響力についてもよく見てみたいと思います。
なお、大島さんのバスケットにおける得意なプレーは、「一言でいえば、全体の流れを作ること」。大島さんは、ローポインターという“持ち点が低い(障害が重い)”選手に分類されるため、バスケ車の車高も低く、ゴール下でのボールの奪い合いなどでは不利。「けれど、ローポインターにはローポインターなりの役割があります。チームが勝つためには何をするかを考え、味方が攻めやすいシチュエーションを作るように動く」のだそう。「そして、そうやってゲームを作っていくのがチームスポーツの醍醐味です」とのこと。
大島さんの視野の広い動きやアシストも、ワールドBBC観戦ではチェックしたいポイントの一つです。なお、大島さんは、車いすバスケというスポーツの特性の一つに、『たとえ相手が男性で、こちら(女性)がパワーやスピードが劣っていたとしても、車いすの特性を知っていれば、ある程度対応できること』を上げてくれています。そこも含めて、しっかり見守りたいと思います。
背番号#12 冨永文明選手
勤務先:コメ兵 商品部
車いすバスケ歴:23年 持ち点3.5点
「自分とバスケはニコイチです」と語る冨永さん。しかし、車いすバスケットは初心者として始め、チームのキープレーヤーとなるまで鍛錬をした、努力の人です。
今から数十年前、冨永文明少年は、地元では有名な柔道少年でした。幼稚園から始めた柔道では、市民大会では常に上位に入る実力の持ち主。中学卒業まで、有力選手として柔道部を勤め上げた経歴を持ちます。
とはいえ、実は、バスケットは「興味はあった」のだそう。中学の時、実兄がバスケ部だったこともあり仮入部という形で門を叩いたといいます。しかし、「夏場の体育館の熱さ、水も飲めないスパルタ式のトレーニング」に根を上げ、早々に柔道にカムバックしました。
そんな冨永さんとバスケットとの縁が再びつながるのは、23歳の時。
中学卒業後は建設業に従事した冨永さんですが、18歳の時、仕事中の事故に巻き込まれてしまいます。解体の作業中に、「一瞬の出来事でした。気が付いたら崩れてきた天井の下敷きになっていました」という大きな事故で、脊椎を損傷してしまい、車いすの生活を余儀なくされます。
「そこから5年間くらいは、健常者ではなくなった自分を受け入れるのが難しい時期が続き、何かに前向きになるという状態ではありませんでした」という冨永さんですが、ある日、転機が訪れます。「このまま引きこもっていても仕方ない・・・」と、車の免許を取ることを決意。そしてその合宿免許の教習所敷地内の体育館で、初めて車いすバスケットボールを目にします。
動き回る選手たちの声、ボールが弾む音、車いす同士がぶつかり合う金属音が響く体育館で繰り広げられていたのは、今まで自分がいたスローな世界からは想像もできないアグレッシブでスピード感あふれる動きの数々。「目がついていかなくて」圧倒されて見入ってしまったと言います。
そして、そんなふうに選手たちの動きに見入る冨永さんの様子に目をとめた関係者が、その場で「君もやってみる?」と声をかけました。冨永さんは、考えるより先に「やる!」と即答していたそうです。
そこから冨永さんのバスケットボール人生が始まります。スポーツマンだった幼少期もあり、さぞや順風満帆だったのかと思いきや・・・。
「やってみたら、想像よりはるかに難しかったです。まず、バスケ車(バスケット用車いす)の操作。キュッと止まる、素早く回転する、ダッシュする…etc. 日常生活で必要な操作とは全然違う。」他の選手のように動かせないくやしさを原動力に、トレーニングを積んだのだそう。
「次に、ドリブル。車を操作しながらボールをつくなんて、最初のころは不可能に思えました。立ってドリブルするのとは違って、バスケ車は車輪が横に出ているから・・・油断するとホイールにボールが当たり、ボールがどこかに行っちゃうんですよ(笑)」。こちらも、時間を見つけては練習をすることで克服し、今では自在にボールを操ります。
そして、
「シュートだって、最初のころはゴールを狙うどころじゃないわけです。」確かに、足の反動を使うことができないとボールを飛ばす距離感も難しそうです。12年のロンドンパラリンピックには日の丸を背負って出場した経歴のあるスゴイ選手なのにも関わらず、「最近やっと、シュート率も上がってきていると実感するくらいです」と謙遜する冨永さん。
ちなみに、冨永さんはブザービーターとしても知られています。そのあたりも聞いてみました。実際に、冨永さんが大切にしているのは、平均値や得点数というより、『ここ一番』でシュートを打ち、決めることだそうです。
「勝利に関わる、流れを引き寄せるプレーというのがあるじゃないですか。それができるプレーヤーでありたいと思っています」とのこと。
なお、そんな冨永さんですが、自分が思う得意なプレーは実はディフェンス。対戦相手の大きい人にシュートを打たれないよう先読みしてその人の車を止める、全体の流れを遮って嫌なところにポジションをとる、そのあたりの予測力が自分の持ち味だと言います。
また、天皇杯に関しては、「自分たちのチームは他のチームより平均年齢が高め。同じ量を走り続けるのは難しいので、ハーフコート内で自分たちのペースをいかにつかんでいくか」がキモだと言います。
さて、このあたりの動きも注目して応援に臨みたいと思います。
背番号#19 児玉真也選手
勤務先:コメ兵 総務部
車いすバスケ歴:13年 持ち点2点
児玉選手は、車いすバスケットは、もはや「私生活の一部」だと言います。かつては、リトルリーグから社会人チームで22歳までプレーする野球人でした。その児玉選手に「天皇杯は特別な試合。高校野球に例えたら甲子園みたいなものです」と語らせるのだから、車いすバスケットボール界における天皇杯の重要度がわかります。
「だから簡単に勝てるわけがない。もちろんやるからには勝ちたい。しかし、初戦の相手は優勝候補の一つ。まずは、しっかりプレーして初戦突破を狙うところから、です」と言います。
そのためには、
「ワールドBBCは、チームとしては年長の部類で、一番若い人でも30歳を過ぎています。だから、運動量では勝てません。周りを見ての冷静なプレー、ベテランらしく動く前に判断する大人のプレー、バスケットらしいチームで連携したプレーを積み重ねて、点を重ねていくしかないと思います。」と言います。なお、ワールドBBCは、誰か突出したポイントゲッターが一人で大量得点するというより、「メンバーそれぞれが得点できるチーム」なのが特徴のチームということ。そのあたりも注目したいところです。
しかも、それだけ皆がオールラウンダーであるということは、それぞれが努力とトレーニングを積み重ねて成熟してきたチームという見方もできます。油断はできないものの、期待はできそうです。
また、かくいう児玉さんも、人知れぬ努力を積み重ねてきた選手です。
仕事上の事故で脊髄損傷の大けがを負った児玉さん。車いす生活となったのち、スポーツをしたいと思って自らインターネットで調べてワールドBBCに加わりました。
「私は岐阜出身なのですが、調べた時、岐阜には他にもチームがありました。ただ、強いチームがいいと思い、天皇杯に何度も出場し、選手権も4連覇している実績があるということも調べ、ワールドBBCに決めました」と言います。その時、車いすバスケ初心者だったことを思うと、強烈な向上心です。普通の人なら怖気づくところかと思いますが、強いチームでやらないと楽しくない、と思ったと言いますから、根っからのアスリートなのでしょう。
クラブに加わった後も、練習の前には必ず自主練をする、終わった後にも坂道ダッシュなど自主トレを欠かさないなどして、スキルを磨き続けました。
「最初は、当然ですがバスケ車の操作もほとんどできません。ブレーキ一つとっても戸惑う。だから、とにかく練習しました」という。今では、得意なプレーに「細かな車いす操作を駆使したプレー」と書くほど。
岐阜県代表としてのプレー経験も持ちます。
残念ながら、2022年に褥瘡*のオペをしてまだ完全に完治してないので今回はプレーヤーとしての出場は危ぶまれていますが、焦らず、復帰して元気なプレーを見せてもらえるよう、これからも皆で静かに応援し続けたいです。
さて、次はいよいよ、天皇杯の試合開始です。そのレポートはこちら👇https://note.com/komehyo/n/n8253764bed4e
*褥瘡とは 体重で圧迫されている場所の血流が悪くなったり滞ることで、皮膚の一部が赤い色味をおびたり、ただれたり、傷ができてしまうことです。床ずれなども褥瘡の一種です。