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ビールの味を忘れて

 もう何年もお酒を飲んでいない。心身症の一つとしてストレスで肝臓を壊してしまったが故だ。

 血液検査でわかる肝機能に関わる数値としてAST,ALT,γ-GT(γ-GTP)というのがある。よく人間ドックで大人が気にするのはγ-GTPだろう。お酒を飲み過ぎている人が高くなってしまう数値だ。

 私の場合はそれ以外のAST,ALTの数値に異常があった。特にASTに関しては基準値が11~35のところ、300以上あった。

 担当医師は私に「これはウイルス性肝炎患者とかの値です」と私に告げ、即、肝炎の検査と甲状腺も含めた癌の検査をした。それらに異常は見られず、単純にストレスで肝臓がダメージを受けて細胞が壊れているという話だった。


 いわば肝機能障害、もちろん肝臓に負担をかける酒など即禁止。そして今日まで一滴も飲んでいない。


 友人との酒の席は大好きだしお酒が弱いわけでもないのだが、特に一人飲みするような酒好きでもなかったので、禁酒という行為自体に苦を感じてはいない。





 大学の近く、東京は四ツ谷駅前に「のぶさん」という安い居酒屋があった。今はもう閉店してしまったが、150円の生ビールとつまみを分け合って4時間とかくだらない話をしていた。それにも関わらず店員さんは僕の名前を憶えてくれていて、予約するといつも「いい席取っときます」なんて言って本当に良くしてくれた。当時の僕と学友の秘密基地みたいな場所だった。


 あの時間があっただけで自分はあの大学に通って良かったとすら思う。そんなジョッキ一杯150円の生と100円の薄いコークハイの味を、もう思い出せなくなってしまった。




 「アルハラ禁止」 「仕事終わりの飲み会に無理に参加しなくても良い」 「お酒を飲めない人はノンアルで全然OKだからね!」 という風潮が整ってきた昨今、それでも互いが酒を酌み交わした状態でしかちゃんと盛り上がらないコミュニケーションというのは絶対に存在するなぁと感じてしまう。



 今年に入ってから少し心身が回復し、知人と食事をすることが出来るようになった。

 割と人の気遣いみたいなものには敏感な方だと自負している。自分は酔わずに「気にしないで飲んでいいよ」と相手に告げていても、相手が本気で"お酒の席"を楽しむことが出来ていないことくらいわかる。


 相手にその気が無かったとしても、一人だけで酒を嗜んでも気持ちよく酔えずどこかブレーキがかかるのだろう。そんな感覚を覚えてしまうと、どうしても時代錯誤な"飲みニケーション"というものの必要性を感じてしまう。



 というか、普通に友達とデロデロに酔って馬鹿話して爆笑してぇよ。僕は。

 大酒飲みでなかったといえ当たり前にお酒を楽しめることを幸せに思わなくてはいけない。




結局、何が言いたいか


肝臓、良くなりました

お酒、少し飲めます


 ASTは約15分の1まで下げることが出来ました。それでもまだ無理は禁物ですし、個人的にもうお酒飲まない生活が当たり前になっているので好んで飲んだりはしないと思います。それでも先述の様に、本当の意味で酒の席につく権利を得たと考えると嬉しいですね。


まあとりあえず、支えてくれた家族と乾杯しますかぁ。


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