役に立つってそんな大事かねぇ
こちらの記事でご報告させていただいたのですが、先日エッセイコンテストで〈佳作〉をいただきまして、東京で行われた表彰式・受賞者懇親会にお招きいただきました。
当日思わずこんなツイートをしてしまうくらい立派な会で正直委縮してしまいました。
また、自分の作品も掲載された「入賞作品集」も配られたので皆さんの作品を読むのも楽しかったですね。当日は受賞者同士での交流もあったので、他の方々がどんな考えをもっているのかを聞くことが出来たのも本当に良い経験でした。
今回のエッセイのテーマですが「働くってなんだろう」というテーマでした。「労働の意義」とかそこまで堅い内容ではないので中学生も応募しているコンテストですし、何なら無職で構わないんです。
環境、年齢、職業も違う受賞者の方々と交流して、一番感じた事は「ミンナ真面目だな」ってことです。
決して馬鹿にしているわけではありません。
真剣に。
「働くとは何か」という題材のエッセイコンテストに応募するくらいの人間ですから何かしらの事をちゃんと考えて生きているわけです。それだからこそ、悩みも深刻で何というか肩に力が入った真面目な人が多い印象でした。
ちゃんと皆さん「やりがい」「役に立つ」をブラック企業の搾取以外で使っているんですよね。
自分がやらなければ社会が回らないからやる
誰かの為を思って仕事をする
社会の役に立つ
そんな方々と交流して、こんな風に考える人が沢山いるなら社会って思っているよりも捨てたもんじゃねぇなと思いましたね。
本編
自分は大学の哲学科で学んでいた人間です。なので「誰かの役に立つ」を異様に重視する感覚に違和感を覚えてしまいます。まあ、役に立てようとしたらもっと実学的な学科に進学して簿記の勉強とかしてますよ。
特に印象に残っているのが2015年に梶田隆章氏が「素粒子標準理論」の根本を揺るがすようなニュートリノ研究でノーベル物理学賞を受賞した時のことです。当然メディアは連日、日本人による受賞を報道していましたね。その中でテレビ番組に梶田氏がリモート出演してインタビューに応じていました。
司会の方が「それでは最後に、今回受賞された素晴らしい研究は今後どのように社会の為になるか。どう役立っていくと思われますか?」と質問していました。
それまで専門的な質問も、テレビ番組という前提の下でわかりやすく答えていらっしゃった梶田さんが黙ってしまいました。まるで質問の意図が理解できないといった様子で。
やっぱり世間的に立派な発見って言われた時に思い浮かべるのは何かしら生活を便利にしたり所謂「役に立つ」ってやつなんだなぁと思わされました。
ニュートリノに質量がある事の発見ですぐに一般家庭の生活が楽になったりするわけないじゃないですか。でも、普通に生活しているぶんにはニュートリノ質量の存在を示すニュートリノ振動の発見よりも、スマホのバッテリーを長持ちさせるライフハックの方が重要でしょうから。
この例えで言ってしまえば、かくいう僕もそんなに真摯な知識欲を持っているわけではありませんが
脱線しました
個人的には世の中はそんなに真面目な構造をしていないし、テキトーに上手い事肩の力を抜いて生きるか、もっと言えばズル賢く生きている人間の方が得できると思います。
もっともっと言ってしまえば自分自身の為に人を騙して蹴落としても天罰なんて食らわずに得し続けて寿命を全うする人間なんてごまんといるのが現実でしょう。
そこからはもう道徳とかモラルの範囲になってくるわけですが、そこに特別な思想や信条に関係なく「それでも真っ当に生きよう」って考えれられるのは所謂「いい人」ってやつなんでしょうね。良くも悪くも。
私は特定の信仰や、何か教義の様な物を信じているわけではありません。ですので「善行の意義」を自分の外側に求めることはできないわけです。
だから常々思います。徳とか善行みたいなものでAmazonギフトカードに変換できないかなって。まあそれが社会全体で可視化されてしまったら「Amazonポイントが人間としての価値」とかいう歪んだディストピアが出来上がりそうですけど。
でも個人的に、僕は好きです。そんなお人好し。
大好きですよ 尊いと思い、心の底から尊敬します。私も、そうありたいと思います。
これで誰にも報われないなんてことは無いですよね、少なくとも一名はここにいるって明記したんですから。