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通信ケーブルから考える人間関係の構築と互恵的利他主義… とか何とか

キャタピラコメダと申します。趣味とお仕事の狭間で毎日エッセイ日記を書いています。くだらない文を、くだらねぇと笑ってもらえれば。


画質粗っ。



今思うと「通信ケーブル」ってすごい代物だった

私は弟と15歳も離れているので仲の良いゲーマー兄弟でありながらジェネレーションギャップが生じている。我が弟にとってオンラインプレイは当たりまえで、「対戦 協力」が有線だった時代を知らない。

とはいえ初代ゲームボーイが発売された頃は私も生まれちゃいないので、懐古語りするのも気が引けるのだが。任天堂の携帯機はGBAとSPの世代で、それでも対戦や通信にはケーブルが必要だった。

ゲームボーイアドバンス専用通信ケーブル

値段としては1500円ほど。小学生の小遣い事情の範囲では、ソフトではなく通信するための周辺機器に出すのはかなりキツイ。そして一番の問題は「どっちかが買えば済む」ということだ。

正直な事を言えば相手に買ってほしい

かといって「お前が買えよ」というほど人間性が終わっちゃいない。そこで 小学生間では通信ケーブルチキンレースが発生するわけだ。このゲームの重要な点は「相手に買わせてしまったほうが人間として負け」という点である。買った方は幼少期に人として一歩先のステージに行く。

ケーブルが関係性そのものだとすればそれを「自分から獲得する」という能動性が必要なんだ。そしてそれが恩着せがましくばってはいけない。「ほら買ったやったぞ」なんてスタンスじゃあ通信関係ができても繋がることはできない。

複数接続

殊更既に構築されている関係性の中に入っていくことは容易ではなく積極性が求められる。通信ケーブルはその事も教えてくれる。二人通信には一本で良いが三人目として入りたいなら自分からあそびーましょと通信ケーブルもう一本持ってかなきゃならん。四人目も一緒だ。

そして四本ぐらいになって関係が広まって大きなグループになると、大概はどっかしらがぐちゃぐちゃに絡まって混線してしまうものだ。



何が言いたいかといえば…

人間関係とか人生とか曖昧で繊細な永遠の課題になんて、何絡めてもそれっぽい意見が言えるし文章が書けてしまうってことだ。深く考えても仕方ねぇ。あとこういう良い事言おうとしてる感満載の文章から何か得ようとするのも慎重になった方がいいのかもしれない。だって俺トイストーリー2見ながらこれ書いてるもん。


 こういう最後に弁論をひっくり返すような記事の書き方が個人的に好きなだけで決して読者を嘲っているわけではなく、私はこの通信ケーブルの例を自分の卒業論文のテーマ内にある「互恵的利他主義」の検討に使用できるか真剣に考えたことがある。

 互恵的利他行動とは簡単に言えば「相手の為になんかやってあげよう」という利他的行動の中で「〇〇してあげたら△△してくれるんじゃないか」と見返りを期待する行動の事である。 
 私とポケモンを交換する為に通信ケーブルを買ってくれたの斎藤君は私に見返りを求めたのか、少なくともその権利は有しており、実際のところ私は彼の家に出向く際ハッピーターンを文字通り返礼として持って行ったわけで…
とか文章さえ堅ければ生物学の哲学を基盤としたリチャード・ドーキンス『The Selfish Gene』の考察の中にしれっと通信ケーブルの話が混ざっていてもバレねえんじゃないかとか本当にすこしだけ考えた。

あぁ~… 書かなくて本当に良かった。

 

キャタピラ米田


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