三万円を落としたら翌日に全額返ってきた話
この世も捨てたもんじゃない
昨日、三万円が入った封筒を紛失してしまった。
近所の銀行に自転車で向かう最中、内ポケットから落としてしまったらしい。
完全に言いわけだが、過去にスマホや財布を無くした記憶はない。本当に焦った。脂汗が止まらなかった。自分のお金ならまだしも実家の稼業関係で扱いを頼まれたお金だった。いい歳して本当に情けない……
本当に真っ新な封筒で、ただお金を入れていただけ
振り込みに行くために茶封筒に入れた一万円札三枚
封筒には封をしていない。何か氏名等を記載していたわけでもなかった。
今日、三万円が無傷で返ってきた
正直信じられない。額が額だけに昨日のうちに一応警察に遺失届を出していたのだが、特徴を聞かれても本当に何も伝えることがなかったくらいだ。勿論ダメもとで、心の整理をつける為の届け出だった。
「何も書いてない茶封筒で現金三万円が入っているのみ」
そんなもの正直 落とし物 ですらない
今朝、警察署から連絡があった。
「先日の遺失届の件、詳細に聞かせていただいてもよろしいですか?」
結果、私が紛失した状況と届主の方の報告が一致しているということが認められ、三万円が無傷で返ってきた。
落とし物を警察に届けた場合、その詳細な状況と拾った人本人の個人情報等を書類に記載して聴取を受ける。20~30分ほどかかることもある。それと同時に、落とし物の2割以下の価値に値するお礼を求めることができる。また、これはどれだけ「ちょっとしたもの」でも聴取と書類の記入が必要なはずだ。まして今回の現金なんて明確に価値がわかるものだ。
拾得者の方は報酬の権利を放棄し、落とし主(私)に連絡先を伝えることも望んでいないとのことだ。
貰ってくださいと言わんばかりの三万円
自分の時間を割いて2キロ弱離れた警察署まで届けてくれた名も知らぬ、名も教えてくれぬあなたを心の底から尊敬する
矛先のない感謝をどこに向ければいいのか 私の人生のテーマソング 『ワルツ』鷲崎健
反省や後悔は自分自身に矛先を突き立てることができるが、感謝や愛情を向ける先が見えない時、または失ってしまった時に人は本当にどうしていいかわからなくなる。
「日頃の行いが良かった」などとつけあがれるような人間じゃない
「これからは自分も人に優しくしよう」なんて三日後にはまたポケットから落としてしましそうな決意もしたくない
倣って自分もどうこうしようなんて薄いことで済ませたくないのに、具体的な感謝をさせてもらえる相手もいない時、大好きな曲の一節を思い出す。東日本大震災の時、文化放送のラジオで聞いてからずっと私の人生のテーマソングになっている曲だ。
鷲崎健さんの『ワルツ』
(楽曲配信もされていない曲なので、よければCDを買ってください)
その一節より。
神も宗教も知らない私は、この矛先のない感謝を空気中の名前のない何かにのせてどこか遠くへ飛ばそう。これを祈りというのかもしれない。
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