アドカレで面白い文章を書きたい
biol2024 Advent Calendar 14日目の記事
私はアドカレを書けなかった。アドカレの記事を書こうとして、「アドカレってなんやねん。」と思った。関西へは旅行で1度しか行ったことがないがないのに、心の中で関西弁がでた。そんな気持ちを記事にしてみました。
11月の終わりごろ、biol2024 Advent Calendarなる存在を知った私はワクワクしていた。
どんな記事を読めるんだろう?この人はどんなことを書くのかな?
そんなワクワクの中に、自分も記事を書いてみたい!というワクワクは少なからずあった。自分の生活の中で長い文章を書くことは全くないので、アドベントカレンダーは長い文章を書く良い機会だと思った。自分が好きな棘皮動物の話ならいくらでも記事をかける自信があった。棘皮動物についての知識や考え、そして棘皮動物を好きな気持ち。自分の心の底からあふれ出てくる棘皮動物。よし、、書ける、、書けるぞ!すごい記事を書くぞ!
こうして、私はbiol2024 Advent Calendarの14日目と21日目に自身の記事の予定を登録したのだった。
初日の記事!2日目の記事!?
12月1日に初日の記事が投稿された。
おー、すごい!アドカレの記事だ!というのが読んでみて最初の感想だった。私は、昔から自分のnoteのアカウントはあったがほとんど何も書いていなく他の人のを読むこともなかったので、新鮮に感じた。初日の記事を読んで、なんかすごい!自分もこんな文章を書きたいなと感じた。対面で話を聞いているかのようにスラスラと文章を読むことができたことに感動した。
12月2日に2日目の記事が投稿された。
ん?初めて読んで、目次に辿り着く前に読むのを諦めた。難しい言葉が多かった。そもそも「宝石の国」という漫画の存在をこの記事で初めて知った。なんか、これはなんだろう、すごいのか?
日を改めて、最後まで読んでみて、なんとなく言いたいことは伝わってきた。それでも、全部は理解できなかった。自分はこんな文章は書きたくないと感じた。
さて、自分は何の記事を書く?
初日の記事と2日目の記事を読んで、アドカレ記事へのハードルは相当高くなっていた。私は自分と棘皮動物に絶対的な自信があったので、自分は内容の濃さでも伝わりやすさでも両者の記事を超える記事を書きたいと思った。それが、アドカレ記事を書くことへのハードルを高くした。自分なら2日目の記事の内容以上にヘビーな内容を初日の記事以上に分かりやすい言葉で書けるはずだ!と思ったのである。実際、私には書けなかった。
まず、テーマが決まらなかった。2日目の記事の内容を超える内容。うーん。2日目の記事の内容を超える内容。心の底からあふれ出てきていたはずの棘皮動物がこのときばかりは鳴りを潜めていたようだった。えー!その程度の愛だったのかよ!とツッコミを入れながらも湧き出てこないものは仕方がない。書けない。どうしよう。何を書けばいい。そもそも「アドカレってなんやねん。」
次に、テーマが決まらなければもちろん書き始めることもできない。授業レポートの書き始めをギリギリまで先延ばしにするのはやりたくないからである。しかし、今回はそうではない。書こうにも書けない。とりあえずやってみる精神が通用しないのである。恐るべしアドカレ。いや、「アドカレってなんやねん。」
行き詰ってしまった。
☆
ここまで記事を読み進めてきたbiol2024 Advent Calendarの熱心な読者の皆さんならもうお気づきだろう。実は、テーマが決まらずとも書き始めることはできるのだ。テーマなし男のとりあえず書き始め文章が現在あなたが読んでいる文章の実態である。これがbiol2024 Advent Calendarの記事の1つとなってしまい、そして、それが自分の文章だということに少々の落胆と大きな驚きを抱いている。読者が読んで少しでも面白いと思ってもらえるような文章にしたい。この記事は、その気持ち以外の何物でもない。しかし、アドカレを書けなかった罪を贖罪し、自分への戒めとするためには、アドカレを書けなかった実情以外を書くことは私には許されないことのように感じた。したがって、本記事は「アドカレを書けなかった自分」をテーマに、いかに読者に面白い文章だと思ってもらうか、私と僕の勝負である。自分の文章力に限界を感じつつも、もうあと少しだ。読者の皆様、もう少し一緒に頑張りましょう。
アドカレってなんやねん。
アドベントカレンダー (Advent calendar) は、クリスマスまでの期間に日数を数えるために使用されるカレンダーである。(wikipedia)
アドベント (Advent) は、キリスト教西方教会においてイエス・キリストの降誕を待ち望む期間のことである。(wikipedia)
「アドカレとは」「アドベントとは」で検索した私の目に一番最初に飛び込んできた文字列である。
それを見てまず思ったのは、僕はクリスマスを祝う文化が好きじゃない。キリスト教を信仰してないから。イエス・キリストが生まれた日かどうかなんてどうでもよすぎる。クリスマスを理由にプレゼントを交換したり、ケーキを食べたり、恋人と過ごしたり、、、。クリスマスだってただの一日じゃないか。なんで特別に過ごしたりなんかするんだ。プレゼント交換やケーキ、豪華な食事への理由付けとして、クリスマスという言葉を持ち出しているといっても過言じゃないんじゃない?
わざわざ寒い中、「寒い寒い」言い合いながら街を歩いて、イルミネーションを見て「綺麗ー!」「すごーい!」なんて。本当に意味のない行動だと思う。ただの人工的な光の集まりじゃないか。期間限定の観光地を作ってお金儲けをしたい大人たちが、イルミネーションで飾り付けをして、僕らはまんまとそれに乗っかって、「綺麗ー!」「すごーい!」なんて。とあるブログの言葉を借りれば、イルミネーションの可能態は環境だ。あなたは、たかが電飾の色や配置に過ぎないイルミネーションそのものが綺麗ですごいと言っているんじゃない。あなたはただ、その時間にその場所でその人と一緒に「みんなが綺麗と言っているその電飾の色や配置」を見ているから、それが綺麗と言ってる。
でも、子どものときの僕はクリスマスが楽しみだった。
寝ないとサンタさんが来ないからって言われて、頑張って寝ようとするけどドキドキしすぎて寝れなくて、さらに寝ようと頑張るけどもっとドキドキして寝れなくなったクリスマス。ドキドキしすぎてまだ暗いうちに目が覚めたけど、枕もとにプレゼントが置いてあって、嬉しくて袋の上から触って中身を考えたりした。
雪が降るクリスマスはホワイトクリスマスって言うんだよと教わりながら窓の外の雪を眺めたクリスマス。そんなことより、「サンタさんにもらったゲームしていい!?」と目を輝かせながら一日中ゲームしてた。
2年前、好きな人との3回目のデートは渋谷のイルミネーションを見に行った。告白するぞ!とだけ思っていた。会話の内容なんて覚えてない。ただ、2人でイルミネーションを見ながら歩いていた。途中で寄ったスターバックスの店内もクリスマスの装飾だらけ。それで、一番イルミネーションが綺麗な屋外の席に座った。寒い。でも、綺麗だね。と言い合うことができた。嬉しかった。イルミネーションを綺麗だねと言い合ったこと、その時の感情は今でも覚えている。緊張7割、告白できずに焦る気持ち2割、綺麗って言い合えた喜び1割。スタバを出て、またイルミネーションが綺麗な通りを歩いた。あの時は結局、緊張して告白はできなかった。
クリスマス、意味ない。
でも、クリスマスでどれだけ多くの人が幸せを感じているだろうか。
イルミネーション、意味ない。
でも、その言葉で心の底から傷つく人が身近にいることを知っている。
クリスマスやイルミネーションと一緒で、アドカレも意味がないと思う。アドベントカレンダーなんてものは、記事を書くための口実、ただの理由付けに過ぎない。ただ、アドベントカレンダーによって私の心は動かされる。
読みやすい!こんな記事を書きたい!
読みにくい!難しい!こんな記事は書きたくない!
すごい!たしかにこんな視点もあるな!
面白い!こんな話があるのか!
やばい!そろそろ締め切りが近いのにテーマが思いつかない!
読みやすい記事を書くどころか、自分は書くことすらできないじゃん。
今年はクリスマスとそれまでの期間を大事に過ごしてみようと思う。
あの時のワクワク、あの時の緊張を思い出してみよう。
これから先もきっと、意味ないと言ってるそれに振り回されながら、こんな感情の連続で生きていくんだろうな。
申し訳なさと次の記事
「これがbiol2024 Advent Calendarの記事の1つとなってしまい、そして、それが自分の文章だということに少々の落胆と大きな驚きを抱いている。」と先述したが、実際にはもう少し複雑な感情である。
申し訳なさがある。みんな期日に間に合うように自分の生物学に関するネタを見つけ、言葉にし、アドカレの記事をあげていた。自分はその流れを止めてしまった。主催者、アドカレ記事を投稿した皆様に申し訳ない。
さらに、アドカレ記事が25/25で埋まっているところを見ると、本当はネタがあって書きたかったけれども、もう埋まっているから書けなかったという人が少なからずいるのではないだろうか。書きたかったけれども枠の都合で書けなかった皆様に申し訳ない。
次の記事へのやる気がある。私は14日目と21日目に記事の予定を登録した。21日目の次の記事は絶対に、生物学に関する良い記事を書く!そのやる気がある。本記事を書いたことによって、私は「アドカレの記事を書けなかったらどうなるか」自分に身を持って体験させることができた。散々である。
21日目の次の記事は素晴らしい記事を書いて、みんなにすごいと思われたい。本当は書けるんだぞ!というところを見せたい。そんなやる気がある。
ここまで、ありがとうございました。12月21日にまた読んでくださることをお祈りしておきます。
「イルミネーションの可能態は環境」という言葉は以下のブログから引用しました。