そういえばオーストラリアのワーホリ終わってました。
オーストラリアのワーホリに行ってから1年が経っていました。
初めての大陸で、もうしばらく日本には帰らないぞ!と決めて、祖父にはもう帰らないのかー。とうるうるされ、それに釣られ私までうるうるして、
うしろ髪引かれながらも日本を飛び出したあの日から1年。
が、半年とちょっと後にしれっと帰国したんだった。
オーストラリアは、前職とかやっていたスポーツとか、結構私の人生に昔から関連のあった国ではあったのだけど、それでもあまり興味が持てず…。今回が初めての渡豪。
なぜ選んだのかというと、アメリカ英語ではないアクセントの、かつ英語が第一言語の国に行きたい。もっと自然の近くで暮らしてみたいという当時の私の夢のような希望に合致したためだった。
実際に訪れた時、ありきたりの言葉を使ってしまうけれど想像とはかけ離れていて、来てよかった!と純粋に感動。
ただ時が経過していくにつれ、多くの人が語るような楽しくて美しいオーストラリアだけじゃなく、裏面の存在も知っていった。
”旅”と”生活”ではやはりその国での行動の仕方も、見方も変わってくるから、旅のようないつもワクワクだけではないことはわかっていたつもりだったのだけど…。そしてこの裏面を乗り越えられるか・られないか。また気になるか・ならないかなどによってもその国で暮らし続けられる・られないの一要因になる。
例えば、戦争で日本がオーストラリアにしたこと。それによって未だ黒い感情を持っている人たちがおり、街で知らない人から差別や偏見を持たれることがあること。
環境変化で沿岸部の植物でさえ枯れてしまい、それにより気温の著しい高低差や砂が舞うなどの二次的な弊害が起こること。
住むところを奪われた一部の原住民たちがホームレス化していること。
移民が多く、アジア人に対してアジア人が詐欺まがいのことをしていること。
そもそも日本とは文化、思考の異なる人が多いため、想定外の言動をされることが度々ある。そしてこちらの言動を想定外に受け止められることもある。
日本という母国から出てきた移民である以上、これらはあらかじめ覚悟していなければいけないことかもしれないけれど。
実際に慣れない環境でこれらに一人で直面すると、流石にどんな人でもはじめは狼狽えると思う。
日本でもそうだけど、どの国も輝いている表面があるとすれば、ほの暗い裏面もあるということを知った。
そしてそれらから自分を守れるのは、自分しかいない。情報は人から与えられるものではなく、自分から見つけていくもの。
また一人が大好きな私でも、人脈って知らない場所では本当に大切なんだって気付かされた。本当に一人で生きていくには、それなりに自分でもいろんなことを勉強しておく必要がある。でもそれって、まだまだ経験の浅い私には難しいから、誰かに助けてっていう必要があること。勇気が必要なこと。それができるようになると、また一回り世界が開けてキラキラすること。大変、辛い、その先にはもっと広いワクワクする世界がある。
海外で一人、その地に親類や知り合いもいない外国人が生きていくことの大変さを痛感したのがオーストラリアだった。
ここまで書くと、オーストラリアってあんまりいいところじゃないの?なんかすごい過酷そうなんだけど。と思うかもしれないが。本当に一人で生きていくって、海外で暮らすってこういうことっていう点を経験できる。私にとってはすごく貴重な人生の糧になりました。
私が日本に帰ると決めた理由は以前にも書いたので割愛しますが、私は今日本で、次のドイツ行きに向けて色々準備中です。
私の中でオーストラリアは、住むのにはもう十分かな。たった半年ちょっとしかいなかったけれど、されど半年。いろんなことが見えた。
改めて、一年前にオーストラリアに行けてよかった。
いろんなオージーとも知り合えたし、オーストラリア英語にも浸かれた。
オーストラリアのことを、ちゃんと好きになれた。
その国に旅行することと、住んでみることの違いって、醍醐味ってやっぱりここだよなあ。ワクワクする、綺麗なもの、新しいもの、楽しいものだけじゃない裏面が見えてしまう。汚いもの、怖いもの、暗いもの。住んでみないとわからない。
でもそれらを知って、ちょっと乗り越えると、より深くその国のことを知るきっかけになるし、いつかその国出身の人と新しく出会った時、いい国だよね〜以外の深い話題を話せる気がする。
まだまだ国籍や人種で括り、憧れたり、妬んだり、蔑んだりもする世の中だけど、暮らしてみたことで、また一つ私のボーダーラインが広がり、国籍や人種の括りもちょっとずつ薄まっていった、そんな一年でした。
P.S.
写真はボンダイビーチ!
オーストラリア生活をほとんどど田舎で暮らしてたもんで、おしゃな街にドキドキしたシドニートリップでの一枚です。