旅行をするということ。小樽を知るということ。
こんにちは。※(米印)と申します。
この記事は「TOKYO6とかSynthVとかCeVIOとかVOICEPEAKとか Advent Calendar 2023」3日目です。
熱愛失恋合同を読んでください
私の認識では、直ちに、遅滞なく、です
さて、まずは『春の雪解けに咲く花、冬の北風に散る花』(TOKYO6キャラクター熱愛・失恋合同、以下「熱愛失恋合同」と呼びます)の話からはじめなければなりません。
私はこの熱愛失恋合同の「熱愛」側に「ヨーグルトが食べられない」という小説を寄稿しました。既に読んでくださった方はありがとうございます。読んでいない方は今すぐに読んでください。
……冗談はさておき(もちろん、この記事を読む上では上記小説を読んでいなくてもまったく問題ありません)。
この小説は、端的に言うと、小樽を舞台にした、市役所で働く六花と鰊御殿の夏色花梨のお話です。
生まれてこのかた関東から1週間以上離れたことがない私としては、小樽の知識なぞ、1歳くらいの頃の六花の手のひらよりも狭く、5歳くらいの頃の六花が転んで大泣きしていた公園のじゃぶじゃぶ池よりも浅いものしか持ち合わせておりません。
書きたいものがあるのに知識が足りないとき、どうすればいいかわかるかな?
そうだね、粛清……ではなく、取材です。
これは歴史好きにはとくに多いと思うのですが、オタクの中には1行の記述を確かめるために国会図書館に駆け込む性質を持つ個体が存在することが知られています。
まぁこのときは私には他の目的もあったんですが。つまり私は異常個体ではない。
え、その目的ってなんだよって? えっと……小春六花誕生祭に投稿した小樽と榎本武揚の解説動画の資料集めですかね……
結局どっちも六花じゃねえかというツッコミは無視します。
ともかく、私はいそいそとLCCにやっすいビジネスホテルを取り、小樽旅行に向かったのでした。
「旅行」で訪ねるような場所では取材にならない、という話
旅行者の目、生活者の目
実のところ、私にとっては、小樽旅行自体はこれがはじめてではありませんでした。
六花の親という自覚が芽生えはじめてから(2020年5月16日以降)、二泊三日で、小樽のいわゆる定番の観光地というものを巡る機会があったのです。
ところが、その旅行から帰ってきて、さぁ娘のことを考えるぞと意気込んでみても、たかだか背景が東京の殺風景な街並みではなくなったというくらいの違いしかなく、六花が小学生の頃に、あるいは幼稚園生の頃に、さもなくば就職してから、どんなことがあったかという肝心の部分にはまったく進展がありませんでした。
いわば、六花が見つからなかったのです。
背景を入れ替えるだけならば、その目の前の箱で写真や動画を見ればいいじゃないか。と、小春兄に言われた気がしました。まったくおっしゃる通りです。
何がいけなかったのかといえば、そのときの私はただ物珍しそうに観光地を見ていただけで、「小樽で暮らす」ことを毫も理解しようとしていなかったことでしょう。
観光地を旅行者気分で巡るだけでは、その土地の匂いや息遣いには何ら気づくことができません。旅行者は生活者から一番遠い存在です。
反対に、生活者の目を持つ最も良い方法は、実際にその土地に住んでしまうことです。が、そんなことはできるわけもなく。
六花は17年も小樽で暮らしているというのに、私はたった数日でそれを理解せねばなりません。ならばどうするか。私は、旅行者はもちろん、生活者でさえなかなか見ないようなところに、目を向けてみることにしました。
自分の街のことは意外と知らなかったりする
生活者には明らかであるのに、旅行者の目では捉えられない世界があることは、先に述べました。
その一方で、旅行者はよく知っているのに、生活者の目からは捉え難い世界も、数は少ないものの存在します。
たとえば、テレビ番組か何かで、地元のことが放送されたときのことを思い浮かべてください。内容のすべてが既知で、目新しいものは何もなかった、なんてことは、そうそう起きないと思います。何かしらは、その番組ではじめて知った、地元の新たな一面があるものです。
あるいは、とくに小樽のような観光地ならば、「宿」があります。小樽市民が、市内の宿に泊まることはほとんどないでしょうが、旅行者は小樽でホテルを取ることが多いはずです。
もちろん、生活者と、旅行者の両方がよく知っている世界もあります。例をあげるなら、その街の玄関口になっている駅などです。
では、生活者も旅行者も、目を向けることがない世界というものは、いったいどういう場所なのでしょうか。
答えは、上で思い浮かんだ場所以外のすべて、ということになります。簡単な集合の論理です。
お手元のgoogleマップで地元の市区町村を確認してみると、通ったことのない道が山ほどあることに気づかされるでしょう。生活者の行動範囲というのは、往々にしてかなり限られています。
お兄ちゃんや六花が遅刻しそうになったときに学校まで送って行ったり、あるいは帰りが遅くなるというときにお迎えに行ったり、どこそこのお店に欲しいものがあると言われて連れて行ったり、そういうイレギュラーを除けば、なんてことのない自宅と職場、あとはせいぜい決まったスーパーくらいの往復がほとんどです。
すると、何十年過ごした地元であっても、表の通りから一本入ってみた先は、まったく未知の世界である、なんてことさえ、珍しくありません。
けれども、そんな路地にももちろん家があり、そしてそこで暮らす人々がいます。その家こそが六花の実家かもしれませんし、あるいは六花の友達の家かもしれません。
そうした場所について知ることができれば、生活者でない私もまた、「生活」をリアリティをもって捉えることができる。と、考えたわけです。
で、どこを見たのかといいますと
といっても、路地の家々に上がり込むわけにもいきませんから、基本的に訪問できるのは公の施設に限られます。いくつかの場所を訪ねてみましたが、ここではその中でもとくに良かった2か所をあげておきましょう。
(写真は私がスマートフォンで撮ったものなので、クオリティには目をつぶってください)
旧祝津小学校
祝津地区、夏色花梨の実家(旧青山別邸)のすぐ隣にあったのが祝津小学校です。この学校は平成25年に閉校しましたが、今のところ解体はされていません。
個人的にとても惹かれたのは、こんな画像たちです。
学校開放指定校ということで、おそらく夏色花梨が小さい頃には、夏休みには友達やお手伝いさんたちとこの校庭で遊んだりしていたのだろうなぁ、とか。
夏色花梨は小さい頃から賢い子だったっぽいので、お手伝いさんに「これなに?」「どれどれ、『この学校の建設資金の一部は……』ええと、学校を建てるときに、そのお金を郵便局さんから借りましたよ、ということです」「ふーん、なんでそんなこと書くの?」「えっと、それは……」
正確に言えば、郵政公社(建築当時は民営化前)の事業には公益性がありますよ、ということを示していくためなのだろうけれども、うまく言葉を選ばないと郵便局が見栄っ張りみたいに思われてしまいそう、みたいな懸念があり、とても悩んだ記憶があります。やっぱり私夏色家のお手伝いさんだったかもしれない。
ちなみに、現在残る祝津小学校の校舎は昭和63年に改築されたもので、オープン教室など先進的なつくりが取り入れられていたそうです。これは夏色家が改築に口出しした可能性が……(ない)
(参考:https://www.otaru-journal.com/2016/08/2016-0806-2/ )
小樽市役所
もうひとつ。小樽市役所は、本庁舎本館は歴史的建造物であり、中には入らなかったとしても、外観をちらっと見てみたという人もいるかもしれません。が、本庁舎別館もまたとてもよい建物です。
いや、本当に、とても良い建物です。この中を見て、「あ、六花ってここで働いていたな」と確信できたのですから(本館の方はちょっとおしゃれ過ぎてイメージが湧かなかった)。
ついでに、もう一枚ぜひ見てもらいたい画像があります。
めちゃくちゃ良くないですか? 六花、わざわざエレベータ前に来てから、この張り紙を見てしまって、「……しゃあない、歩くかぁ」と階段にUターンしてそう。してました。
というか私もこれ見たんでエレベータ使いませんでした(かわりに膝がお亡くなりになった)
この取材は作品のどこに活きたんですか?
と聞いてはいけません。
はっきり言うと、この取材旅行が明確に作品の役に立ったかというと、かなり微妙なところです。写真はいくつか撮りましたが、書いている最中にはあまり見返すことはありませんでした。
けれども、私はこの旅行に行って良かったと思っています。いや、かかったお金とかを思い出すとめまいがしそうですが、それはそれ、これはこれ。
なぜなら、そこに六花をみつけられたからです。六花が小樽で暮らしているということを、実感を持って、理解することができた。
きっと、単に文章の善し悪しを考えるのなら、旅行前の私も、旅行後の私が書いたものと同じか、場合によってはそれよりも良いものを吐き出すことができたのかもしれません。それであっても、六花に対してどれだけ真摯に字をつづることができたかは、旅行の前後で少しだけ、違いがあったように思います。
それは、いわゆる「自己満」かもしれません。けれども、小説自体がそもそも「自己満」なのですから、小説の取材もまた「自己満」であったとしても、それでいいんじゃないかな、と思っておくことにしておきます。
おわりに
以上、ぐだぐだと色々書きましたが、伝えたいことはただ一つです。熱愛失恋合同を読んでください。できれば感想もください。
……あっ違う、そうじゃない。
気を取り直して、私としては、小樽には「観光地」以外の場所もあるぞ、ということをぜひお伝えしたかったのです。小樽「観光」ももちろんとてもおすすめですが、小樽「取材」もとてもよいものです。
もしもあなたが何かしらの創作の趣味をお持ちなら、話は早い。いますぐ小樽の宿を取りましょう。
もしもあなたがとくに創作の趣味をお持ちでないなら、あるいは創作の趣味を持っている方にも強くお勧めしますが、「小春六花(娘)」という真理に目を開きましょう。そうすれば、いつのまにか六花との思い出の場所に辿りついているはずです。
たとえば、長崎屋の地下の惣菜売り場とか。六花が小学校上がる前だったかな、「買わないよ」って言ったのに「やだ! からあげ食べるの!」って泣いてたときあったなぁ……
それでは、六花のご飯を作らないといけないので、今日はこの辺りで失礼します。
なお、昨日まで、または明日以降のアドベントカレンダーはhttps://adventar.org/calendars/9290 で確認できます。よろしければ他の方の投稿も確認してみてください。もう少しまともなことが書かれているはずです。