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実は贅沢なこと

今日は休み。
さきちゃんは朝方にお家を出て帰るのが夜ということもあり、一人の時間が長かった。
といっても、誰かと会う予定も無いので爬虫類の世話をしたり洗濯物を洗って干したり掃除したり気になってた映画を配信で見たり、買い出しに行ったり、実家からの野菜を受け取ったり、小説読んだり、お菓子作りしてたりしたらあっという間に夕方になった。
ここ最近の体感速度はちょうどこの noteにつらつらまとめた位のスピード感で過ぎていってしまう。
実家からの野菜を受け取れたので今日はちょっと久しぶりに腕によりをかけて料理した。
きゅうりとトマトの鶏肉中華サラダにきんぴらごぼう。卵のスープ。
久しぶりに食卓に3品も並んだ。
夜になり、さきちゃんが帰ってくると作った食事の品数に喜んでくれて、食べてさらに褒めてくれた。
有難いなあ、と思う。

今日はさきちゃんが帰ってきてからも少し時間があったので一緒に映画を観ることにした。
我が家の自慢の一つなんだけど、家にプロジェクターがあって、白い壁に投影すれば大画面で映画が観れる。二人でソファに横になりつつ、白く浮かび上がるスクリーンを観ていた。

なんて贅沢なんだろう。
しみじみと噛み締める瞬間だ。
およそこんな生活が送れるようになるなんて思わなかった。
当たり前の日常のようでありつつ、今こうして過ごせているのは実は奇跡だ。

僕ら二人は破局寸前になった事がある。
僕はその頃、前職の派遣会社の内勤で働いていて、仕事の出来が悪いため大阪に転勤していた。
物理的な距離が遠くなっていた上に、仕事では暴力的な性格の社長のそばで神経を擦り減らす日々。転勤の最初の頃は頻繁に連絡を取り合っていた僕らだったけど徐々に余裕が無くなり連絡の頻度が減り、さきちゃんも独りに段々と慣れていった。

僕はそれまで正社員として働いた事が無く派遣会社の過酷な環境でもどうにか無理やり食いついていこうとしていた。世間知らずだったし後がないとも思っていた。怒鳴られる事も胸ぐら掴まれる事も理不尽な事を言われる事もあった。土下座させられたり、ギャンブルに一月分の給料を掛けさせられたり、今思えばあんな所はさっさと辞めてさきちゃんの元に帰れば良かったと本気で思う。けどこの当時の僕は何か掛かってしまっていて、この社長や会社の異常性に気づけなかった。
影響力のある人のそばにいると、少なからず影響を受けてしまう。社長は影響力のある人だった。

大阪の転勤は元々3ヶ月くらい、という話だったのがいつの間にかズルズルとその期間がズレ込み、半年が経とうという頃。福岡への出張命令が出た。出張の話は急に来るし明後日夜行バスで福岡へ行けと言われた。
福岡に居た内勤スタッフが東京へ帰ったので穴埋めとして行く事になったのだ。
福岡ではクレーム対応の部署でひたすらクレームの対応、夕方帰ってからは派遣会社の内勤としての雑務をしないといけなかった。社宅はタコ部屋で部長と一緒に住んでいた。なんとか福岡で生活の基盤を作ろうとしていた頃、さきちゃんから連絡があった。
ラインで通話して出た話は「このままなら別れよう」というものだった。大阪の時点で遠いのに期限が延ばされた上に福岡に出張と、さらに距離が遠くなった事。もう独りでも寂しく無くなった事が原因だった。
この時の僕は本当に絶望した。なんとかこのシンドい会社でどうにかやってこれたのはさきちゃんが東京で待っていると言う後ろ盾があったからだ。
さきちゃんのために頑張っていたのにさきちゃんが居なくなったら本末転倒だ。正直会社を辞める事もめちゃくちゃ怖かったけど、さきちゃんを失う事の方が無理だった。
その時の通話で会社を辞める決心をして、その後はさきちゃんがうちの家族へ連絡をしたり裏で準備を進めてくれたおかげでどうにか会社を脱出できた。

時々あの会社に居た時の事を思い出す。
もしもあの時にさきちゃんと別れてしまっていたらと思うと恐ろしい。
そして今こうしてさきちゃんと一緒に住んでいられる事、一緒に穏やかな生活を送れている幸せを噛み締められる。
当たり前に見えるけど当たり前じゃない。
あらゆる可能性がある中でどうにか自分で手繰り寄せた人生だということを忘れずにいたい。

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