神仏探偵・本田不二雄が案内する 「TOKYO地霊WALK」 vol.9
稲荷信仰のメッカを詣で
猫稲荷の謎に挑む
【赤坂・後編】
赤坂の歴史を物語るふたつの寺院
前編につづき、日枝神社の丘を下り、外堀通り(かつての外堀)を渡って赤坂の街を入ってみましょう。
ゆるやかな上りに3本の道が横断し、それぞれ飲食店が軒を連ねています。
かつて一帯は花街(花柳界)を形成。最盛期は料亭100軒、芸妓は400人を数え、政治家や軍人が足しげく通っていたそうです。いまは往時の面影はありませんが、料亭「赤坂 浅田」がわずかに往時の風情を偲ばせています。
そして突き当りが一ツ木通り。
「一木/一ツ木」の名は江戸開府以前からあったといい、もとは人馬を継ぐ宿場があったことをあらわす「人継村」だったとのこと。それがいつしか一木原、一ツ木町(丁)、一木村の地名となり、いまは一ツ木通りとしてその名を留めているようです。
なお、江戸後期の『新編武蔵風土記稿』には、氷川神社に1本の銀杏の木があるため「一木村」となったともあります。氷川神社でイチョウといえば、前回紹介したあの木のことでしょう(前編を参照)。後付けにしても興味深いですね。
では、令和の一ツ木通りを西に進みましょう。
ほどなく目に入るのが、通りに門を接して鎮座する浄土寺。古地図にもその名が記され、現在も境内で盆踊りが開催されるという界隈ではおなじみの寺です。
やや味気ないコンクリート造の本堂ですが、その手前左にインパクト大な閻魔様の石像を発見。これは珍しいですね(造立年代不明)。また右側には地蔵菩薩の銅像。こちらは享保4年(1719)神田在住の鋳物師・太田駿河守正義の鋳造(案内板より)。近づいて見ると、肩から袖にかけてびっしり願主の名前が刻まれています。まさに江戸の爪痕です。
では、わずかに開いた本堂扉のすき間から、赤坂の阿弥陀さんに合掌し、挨拶がわりの「ナムアミダブツ」三唱です。
さらに通りを進むと、左手奥に「四国八十八所霊場 御府内第七十五番札所」の文字が見え、近代的な山門には「赤坂不動尊」と記されています。威徳寺です。
御由緒によれば、慶長5年(1600)住僧良台が本尊の夢告によって下総(千葉県)から武蔵国人継(一ツ木)のこの地に寺を遷し、江戸時代には紀州徳川家の祈願寺となったとあります。上記のように、江戸の市域に見立てられた四国霊場のひとつとしても信仰されてきたのでしょう。
本堂は高層のマンション型霊園の中にビルトインしており、1階の本尊には、不動明王を中尊とする五大明王像がズラリ。外にもやや時代を経たお不動さんの石像があり、花が手向けられています。では、こちらでも不動明王の真言「ノウマクサンマンダバザラダンカン」(小呪)を三唱。赤坂の御仏にリスペクトです。
大岡越前が信仰したダキニ眞天=豊川稲荷
一ツ木通りはやがて青山通り(国道246号)に突き当たります。古地図にはこの角あたりに「氷川」の文字が見えますが、ここは赤坂氷川神社が創始された場所で、その元宮があったようです。
そしてその隣には、かの大岡越前守忠相で知られる大岡家の下屋敷がありました。
ちなみに、大岡邸内には忠相が信仰した豊川稲荷が祀られていて、毎月午の日(稲荷神の縁日)には門が開かれ、一般庶民も参詣できたといわれています。
そんな大岡邸内の屋敷神に端を発し、赤坂の聖地として発展したのが現在の豊川稲荷(豊川稲荷東京別院)です。
では、青山通りを少し上ったところにあるその境内に参入しましょう。
筆者がここを詣でたとき、ふいに本殿のほうからドンドンと太鼓の音と祈祷の声が漏れてきました。つられるように拝殿に上がらせてもらうと、僧侶が蛇腹の経本(大般若経)をパラパラと広げながら読経しています。一日に7回あるという御祈祷の時間でした。私もそのおこぼれにあずかり、祈りの空間に浸らせていただきました。
あれ、と思う人もいるかもしれません。ここはいわゆる神社ではなく、正式には豐川閣妙嚴寺という愛知県豊川市に鎮座する曹洞宗の寺院の別院。その鎮守として祀られているのが豐川吒枳尼眞天で、その稲穂を荷い白い狐に跨っているお姿から、豊川稲荷と呼ばれるようになったといいます。
もとは仏法守護の善神としてあらわれた豐川吒枳尼眞天(豊川稲荷)でしたが、やがて武将らの信仰を集め、さらに商売繁昌、家内安全、福徳開運の神として庶民の間で絶大な信仰を集めていったようです。
まるでご利益神仏のテーマパーク!
それはともかく、この境内の特徴は、何といってもさまざまなご利益をうたう神仏の拝み場が密集し、祭りの縁日のような活況を呈していることにあります。
境内の中心は本殿と奥の院(ともに吒枳尼眞天を祀る)ですが、その周囲に社祠が建ち並んでいます。では、順にめぐってみましょう(以下手短に解説)。
○大黒堂(本殿手前)
招福利生大黒天といい、豊川稲荷の化身という。ご利益は除災・招福。真言は「オンシラバッタニリウンソワカ」。
○大岡廟
豊川稲荷を信仰して、名奉行として讃えられた大岡忠相の霊廟。訴訟・トラブルの解決を祈る人も。
○融通稲荷(本殿脇)
財宝を生むという尊天で。真摯に祈れば、金銀財宝を融通してくれるとも。賽銭を入れ、融通金の黄色い封筒(中身は10円玉)をいただき財布に入れて持ち歩き、願いが叶ったら利子をつけて「お返し処」に納めるのが作法。
○弁財天(融通稲荷の裏)
インド由来の川の女神。日本では福財のご利益でも知られ、水場にはザルも用意され、銭洗いの願掛けもできる。 真言は「オンソラソバテイエイソワカ」。
○叶稲荷(弁財天の奥)
因縁除けの守護神。悪縁を切り、災いを除いて、開運を授けてくれるという。
○三神殿(奥の院脇)
中央に宇賀神王。蛇体の神で、繁栄をつかさどり、商売繁昌をもたらすという。向かって右の太朗稲荷は、健康を守る飛行自在の神、向かって左の徳七郎稲荷は円満な対人関係をもたらす神としてそれぞれ信仰されている。その左隣には「子授霊狐」の祠もあり。
○愛染明王(三神殿奥)
愛染明王は愛欲の煩悩を肯定し、悟りへと昇華させるホトケ。「愛染明王・良縁恋愛」と記された基台にその石像あり。良縁を求める祈願者が絶えない。
○七福神
定番の神セブンメンバー、恵比寿、大黒天、福禄寿、毘沙門天、布袋、寿老人、弁財天の石像が境内のそこかしこに安置されており、七福神巡りができる。
ご利益ワールドのお参りのコツとは
印象的だったのが、奥の院参道脇の霊狐塚。上に宝珠を戴く八角形の石柱の周囲に、信者・崇敬者が奉納した霊狐像が多数取り巻いています(かつてはもっと数が多く、そのほとんどは地下のスペースに遷されたという)。まさに信仰のエネルギーを思わせるものですが、なぜここにこれほどの神仏が集結し、かつ人々を招き入れるのでしょうか。
もちろん、ご本尊の功徳・神徳と、寺院の企画力あってのことでしょう。ただ、ここをお稲荷さんのメッカたらしめた「場」にも何か要因がありそうです。
そこで、今回取材に同行した土地詠み・地鎮のプロ・麒麟師(嶽啓道)に、場を詠み解いてもらいました。
「ここは西を赤坂御用地に、東を青山通りに接しています。地気を詠むうえで道路は川に見立てるのですが、この青山通りは、この国の中心である皇居の外堀から裏鬼門に沿って流れる起点となり、また終点にあたります。その“中洲”にあたる境内は、滞っているものが流れる、モノゴトが動く、転機を迎える。そんな地相をそなえています」
あくまで、“一術師”の見解ですが、なぜここが人々を惹きつけるのかがうっすら理解できるような気がします。
ともあれ、はじめて詣でた人は"場"の情報量に圧倒されてしまうでしょう。そんな豊川稲荷の参詣のコツみたいなものがあるとすれば何か。麒麟師に問うてみました。
「最初は観光でいいと思います。ただ、本殿と奥の院はしっかりとお参りしましょう。そのうえで、3回ほど詣でて気になる神仏(拝所)が見えてきたら、次からはピンポイントでご祈願。意外と神仏は人見知りですから(笑)、初対面ではわかりづらいものです」
「授与品でおすすめなのが、『御影守』。観音開きになっていて、真ん中が鏡に刻まれた御御影(吒枳尼眞天像)になっています。人の邪気を跳ね返し、自分のエネルギーをためてくれる守護の鏡です」
ビルの間にひっそり鎮座するネコ稲荷
さて、最後にもう一か所、知る人ぞ知る赤坂の謎スポットを詣でましょう。
そこは、豊川稲荷の道向かいの赤坂の名舗「とらや」の裏側。近代的なビル手前の中2階にお社を構えています。狭い階段の参道を上ると極狭の境内があり、目の前に端座するネコの像には「美喜井稲荷諸大眷神」の神額が掲げられ、お社の正面には「美喜井稲荷大明神」と記されています。
稲荷とありながら、定番のキツネではなくネコのお像。そしてお社の正面、蟇股部分には、謎めくネコの彫り物が一対で配されています。
掲示された由緒書にはこう書かれていました。
「美喜井稲荷の御守護神は京都の比叡山から御降りになりました霊の高い神様です。この神様にお願いする方は蛸を召上らぬこと。この神様を信仰される方は何事も心配ありません」
読んでも、ますます謎が深まるばかりですが、ネットで捜索すると、古い雑誌記事にこんなことが書かれていたそうです。
「戦前、この地にあったお宅に『美喜井』なるネコがいて、火事の発生をいち早く知らせるなどして主人を助けた。そのネコの死後、お手伝いさんが毎晩猫の夢にうなされ、主人が美喜井に祈ったところ、霊夢はピタリと収まった。ある僧に相談すると、比叡山由来の猫神といわれ、本格的にお祀りした」(大意)。
ネコの美喜井(の神霊)を祀った稲荷社。そういうことのようです。それにしても、お社のネコ彫刻が気になります。向かって左は鳥と戯れるネコ、右は赤い邪鬼(?)を押さえ、人魂を喰らうようなモチーフです。これは何を象徴しているのでしょうか。
「とり(鳥)寄せ・魂喰い」の意かなあ、と麒麟師。
「奉納灯籠に、常磐津(三味線と語りによる舞台芸)の太夫さんの名が記されているのがヒントかもですね」
筆者と麒麟師とのあいだで一致したのは、この像には何らかの隠語や符丁めいたモチーフがこめられているのではないか、というものでした。
ポイントは、願主にとってネコがどんな存在だったのかにあります。
かつてネコは「三味線」の俗称とされ、それを扱う「芸妓」の象徴でした。このため、花柳界の女性はとりわけネコを愛玩したといいます。いわば分身であり、神秘的な能力をもつ神アイコンでもあったでしょう。だとすれば、花街の女性らの秘められた祈願や願望がネコに託されたとも考えられます。
であれば、このネコ彫刻は「お客を招き(とり寄せ)、上客を捕まえ、その心を手玉に取る(魂喰い)」霊験を象徴する存在だった――そう読み解いてみるのはどうでしょう。
あくまで推論ですが、そう考えると、かつて芸者文化が華開いた赤坂ならではのアイコンのように見えてきました。
ちなみに、ネコがタコを食べ過ぎると、タコに含まれる酵素によってビタミン欠乏症に陥るといい、一種のタブーとされているようです。あえて由緒書に書かれているのは、美喜井の死因はそれだったからかもしれません。
なお、以前の案内板には、「三年信仰される方は必ず開運します」と記されていたようです。ネコ好きもそうでない人も、こっそり詣でてみてはいかがでしょうか。
【VOL.10へつづく】
文・写真:本田不二雄
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【著者プロフィール】
本田不二雄(ほんだ・ふじお)
「神仏探偵」として、全国の神仏方面の「ただならぬモノ」を探索することを歓びとするノンフィクションライター。駒草出版の三部作として好評を博した『ミステリーな仏像』、『神木探偵』、『異界神社』(刊行順)のほか、そこから派生した最近刊『怪仏異神ミステリー』(王様文庫/三笠書房)、『地球の歩き方Books 日本の凄い神木』(Gakken)などの単著がある。
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