「本と食と私」連載2回目のテーマ:人をカボチャだと思えば、緊張しない
人をカボチャだと思えば、緊張しない
文:田中佳祐
謙虚な心と引き換えに、緊張する心をどこかに置いてきてしまった。
いつ、そうなってしまったのかといえば教師をしていたころで、毎日子どもたちの前で話しているうちに緊張しなくなった。
当時の習慣が今でも抜けずに、大勢の前に立つ時にはニコニコと笑顔で話してしまう。特に機嫌が良いわけではないのだが、その方が言葉がスルスル出てくるのでそうしている。
風情のない言い方をしてしまえば、作り笑顔ということになる。
『オズの魔法使い』の続編である『オズのふしぎな国』に、カボチャ頭のジャックというキャラクターが出てきて、それに近いかもしれない。
彼の頭は名前の通り、笑顔に彫られたカボチャでできている。生のカボチャなのでしばらくすると熟れすぎてしまう。そうなると新しいカボチャに交換する。
アンパンマンのようなものだが、彼の場合は自分の畑でカボチャを育てているので、より自立している。アンパンマンは自分の頭を誰かに分け与えているけれど、ジャックは古くなってしまったカボチャ頭をお墓に埋めている。
私の作り笑いも、カボチャだったら使い終わった後に料理してしまえば、誰かに食べてもらえるのに。
最近、新しいカボチャ料理のレシピを考えているので披露してみたい。京都のレストランで美味しいカボチャのスープを飲んでから、自分でも作ってみたくて試行錯誤している。カボチャとバターと白みそとクミンで作る「カボチャのすり流し」だ。まだ未完成だから、定期的にカボチャを料理することができたらありがたい。
こうやって遠回りしながら何を言いたいのかといえば、私の場合は「人をカボチャだと思えば、緊張しない」のではなく「自分の顔をカボチャにしてしまえば、緊張しない」のだ。
ここでいうカボチャとは作り笑顔のことで、他の人だと違う表情だったりするのかもしれない。
注意しなければならないのは自分の顔をカボチャにするとき、中身が詰まっているとすぐに腐ってしまうところだ。
カボチャ頭のジャックは中身をくりぬかないで使っているものだから、すぐに柔らかくなってしまって、そのたびに新しい顔を作るはめになっている。カボチャ頭はしっかり中身を抜いて、空っぽにしておくと腐りにくい。
「オズの魔法使いシリーズ」には、もう1人自分の頭を気にしているキャラクターが出てくる。
それは、知恵が欲しくて脳みそを手に入れたいと願うカカシだ。
小説から離れた話になってしまうのだけれど映画『ウィズ(The Wiz)』という『オズの魔法使い』を原作にした作品がある。この映画にでてくるカカシは、マイケル・ジャクソンが演じている。彼は、知恵がないものだから他人の名言を借りて話す。
カボチャのジャックのように頭の中身がつまりすぎても、カカシのように頭の中が空っぽでもうまくはいかないようだ。
私も昔は頭の中にしっかりと台本を詰め込んで話すようにしていた。しかし、準備した言葉を再生するので精いっぱいで、そうすると余裕なんてあったものではないので、心が張り詰めて緊張してしまう。その後、いつの間にか謙虚な心を置き忘れてしまい、アドリブですべてを乗り切るようになってから緊張しなくなった。
それと引き換えに、カカシのようにどこかで聞いたような言葉をよく考えないまま、適当につなげて発声している。
マイケル・ジャクソンが演じるカカシは、映画の最後に主人公ドロシーが故郷へ帰るシーンでこんな会話をする。
カカシは、自分の言葉でドロシーに別れを告げることができたのだ。
カボチャ頭で中身がスカスカな私でも、いつか自然な表情で、自分の言葉で、話すことができるかもしれない。
そんなことを考えながら、今日も「カボチャのすり流し」のレシピを研究している。
文:竹田信弥
カボチャのことを考えてながら本棚を眺めていたら、農学博士である藤田雅矢の『捨てるな、うまいタネ』(WAVE出版 2003年)を見つけ、人生で一番緊張した時のことを思い出した。
僕は、極度の緊張しいだ。人前に立つのが苦手で、極力そういう場面から逃げてきた。小学校のクラスの演劇ではちょい役にもかかわらずうまくできなかったし、会社員時代のプレゼンもまったくダメだった。大勢の人の前に立つと、変な汗は出るし、言葉は出てこなくなるし、どこをみたらよいかもわからなくなる。卒業式で卒業証書をもらうために、全校生徒の前に並ぶのすら緊張して、体がカチカチに固まってしまい、校長先生からうまく受け取れないほどだった。
そんな僕は、東京の明治神宮駅から渋谷へ向かっていた。M-1グランプリに出ようとしていた。年に1回行われる漫才のあれである。
なぜ出ようと思ったのか。お笑いはずっと好きで、小学生の頃に漫才師になりたいと作文を書いたこともある。小さな本屋をやっている僕は、日頃から本や読書の魅力をどうしたら多くの人に伝えられるかについて考えていて、面白い漫才ができればふだんあまり本にあまり興味がない人にも届くような気がした。小説を書くお笑い芸人がいるのだから、漫才をする書店員・ライターがいてもいいんじゃないかとも考えた。いろいろ思いつくけど、どれも後付けの理由でしっくりこない。とにかくやってみたかったのだ。
会場に着くまでに、公園があった。中では、外に向かって話をしている人たちがたくさんいた。異様な光景だった。みんな漫才の練習をしているのだ。それを見て緊張が強くなった。口の中がカラカラになっていた。コンビニで水とフリスクを買った。コンビニの中にも出場者らしき人たちがいて、「あそこのセリフ変えよう」などと打ち合わせしていた。緊張感が増す。
会場のビルは、シダックスカルチャーホール。昔、仕事で来たことがあった。あの時は別に緊張してなかったな、となんの励ましにもならないことを思った。
ビルに入って階段を登ったところに、受付があった。2千円のエントリー料を支払い、最上階のホールへ。エレベーターが開くと、何組もの芸人さんが、ホール横の廊下でネタ合わせをしている。奥の方で、スタッフらしき人が「名前を呼ばれるまでここでしばらく待機してください」と言った。まだ時間があることを知って緊張が緩んだのか、トイレに行きたくなった。その途中、このあと漫才をするホールの入口を横切ったら、まあまあお客さんが入っていて、一気に身体全身がこわばった。トイレから戻り、練習をしながらも「なんで出ようと思ったんだろう」と後悔モードに入っていた。出たいと言ったのは僕なのに、である。
舞台裏まで行き、あと数組というところまできた。藁にもすがる思いで、スマホで「緊張をほぐす方法」を検索する。「観客をカボチャと思う」というベタなアドバイスが表示された。僕はすぐさま「これってじゃがいもと思えじゃなかったけ?」と余計なことをひとりごちた。そして、少し前に『捨てるな、うまいタネ』という本を読んで、自分もやりたくなって、家にあったカボチャのタネを洗ったことを思い出した。あとは植えるだけというところまで準備はしたが、そのあとどうしたのだろうか。
カボチャのタネのことを考えていたら、自分達の名前が呼ばれた。
勢いよく飛び出した。
漫才中は、予想をはるかに上回る緊張で、つかみのネタを間違えた。お客さんの表情はまったく見れなかった。観客をカボチャだと思う余裕すらなかった。カボチャのタネのことなんて考えている場合ではなく、ネタについて考えるべきだった。
結果は、もちろん初戦敗退である。
ちなみに、漫才の相方はこの連載を一緒に書いている田中さんだ。
あの時、田中さんに「緊張してやばい!」と相談したけど「緊張している人が近くにいると緊張しないんですよ」と笑っていた。カボチャをくり抜いた化け物に思えたのは秘密。
著者プロフィール:
竹田信弥(たけだ・しんや)
東京生まれ。双子のライオン堂の店主。文芸誌『しししし』編集長。NPO法人ハッピーブックプロジェクト代表理事。著書に『めんどくさい本屋』(本の種出版)、共著に『これからの本屋』(書肆汽水域)、『まだまだ知らない 夢の本屋ガイド』(朝日出版社)、『街灯りとしての本屋』(雷鳥社)など。最新刊は、田中さんとの共著『読書会の教室――本がつなげる新たな出会い 参加・開催・運営の方法』(晶文社)。FM渋谷のラジオ「渋谷で読書会」MC。好きな作家は、J.D.サリンジャー。
田中 佳祐(たなか・ けいすけ)
東京生まれ。ライター。ボードゲームプロデューサー。NPO職員。たくさんの本を読むために、2013年から書店等で読書会を企画。編集に文芸誌『しししし』(双子のライオン堂)、著書に『街灯りとしての本屋』(雷鳥社)がある。出版社「クオン」のWEBページにて、竹田信弥と共に「韓国文学の読書トーク」を連載。好きな作家は、ミゲル・デ・セルバンテス。好きなボードゲームは、アグリコラ。
双子のライオン堂
2003年にインターネット書店として誕生。『ほんとの出合い』『100年残る本と本屋』をモットーに2013年4月、東京都文京区白山にて実店舗をオープン。2015年10月に現在の住所、東京都港区赤坂に移転。小説家をはじめ多彩な専門家による選書や出版業、ラジオ番組の配信など、さまざまな試みを続けている。
店舗住所 〒107-0052 東京都港区赤坂6-5-21
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