「本と食と私」連載3回目のテーマ:刃物より危険な
刃物より危険な
文:田中佳祐
君は本物の納豆カレーを食べたことがあるか?
店で出される納豆カレーは本物ではない。納豆カレーの真実は、家庭料理に隠されている。スーパーで買ってきた、おかめの顔が描かれたちょっと怖いパッケージの納豆に醤油をたらしてグリングリンにかき混ぜ、家カレーにぶちまけると、本物の納豆カレーが完成する。
この料理のポイントは、罪悪感にある。
そもそも、家カレーというのは大なり小なり作り手のこだわりが込められている。調理オタクの私であれば、100以上のレシピをストックしているカレーへの愛はめちゃくちゃ深い。
こだわりの結果、数時間に及ぶ調理時間も苦にならないほどカレーを作るのが大好きだ。
そうして料理したカレーはけっこう高い完成度を誇ると自負している。
家族に出す時には、カレーに添えるのは福神漬けとラッキョウ漬けであり、そこにトンカツだのチーズだのといったトッピングが介入する余地はない。
それほどこだわりのある私はカレーの次の日、つまりカレーが最も美味しくなったタイミングで納豆を入れる。
たぶん、料理としての完成度は納豆を入れない方が高く、バランスがいいはずだ。しかし、納豆を入れるとめっちゃ美味い。
この美味さの秘訣は納豆とカレーのマリアージュだけでなく、罪悪感という味だと思う。一生懸命に作ったカレーに、臭いが強く、なんかネバネバした食べ物を混ぜて食べる。全く違法ではないのだけれど、どこか法律に触れているような気分を味わいながらカレーを味わうことができる。
これを一度経験してしまうと、抜け出せなくなる。二日目は納豆カレー、というルーティンが身に沁みついてしまうのだ。この美味さは店カレーでは味わうことができない。やはり、目に入れても痛くないほど愛しいレシピのカレー、あるいは愛する家族が作ったカレーに納豆を入れてしまうというその行為がなければ、納豆カレーは完成しないのだ。
ちなみに、さらに罪を重ねていくと最初の一杯目から納豆を入れちゃおうかなという危険な誘惑が頭をよぎるようになる。
私くらいになると、出来立てのカレーに納豆を入れることになんのためらいも無くなる。
自分が作った100点のカレーに、「うるせぇ止めるんじゃねぇ、この方が美味いんだよ」と心の中で声を荒らげながら納豆を入れることができるのだ。
納豆カレーの誘惑の危険度を他のものに例えるとしたら、それは解説である。特に、人文書の解説である。
人文書というのは、私のようなぼんくら読書家には難しい。
難しいので、ついつい巻末にある解説に逃げてしまってなんとなくわかった気になってしまうことがある。
登山と同じで難しい本を読了する楽しみはかけがえのないものなので、本文に挑戦することが重要なのだけれど、解説の誘惑というのは断ち切りにくい。
私が解説に憑りつかれてしまったのは『なぜ古典を読むのか』(イタロ・カルヴィーノ著 須賀敦子訳 河出文庫)を読んだことがきっかけだった。
この本の文庫版には、須賀敦子の訳者あとがきに加えて池澤夏樹の解説が載っていて、この文章がカルヴィーノの魅力を簡潔に私に伝えてくれた。
カルヴィーノが、古典の旅人を導く伴走者であることを知ったのだ。
池澤夏樹の言葉を借りて古典を都市に例えてみるならば、その街は簡単にはその全景を表してはくれない。
その都市を知るためには観光ガイドに載っているような有名な道を歩くばかりではなく、回り道も必要なのだろう。
言い換えれば、邪道を知ることでむしろ都市の美しさが際立つことがある。というわけで、私はあなたにとっての納豆カレーの導き手となったわけだ。
この料理の本質が光の側にあるのか、それとも闇の側にあるのか、もはや明言しないが、納豆カレーというレンズを通して覗き込むカレーは可憐に輝いている。
文:竹田信弥
焚き火を見ると、小学生の時にボーイスカウトのキャンプで起こった悪夢のような夜を思い出す。キャンプの前日までは、憧れのキャンプファイヤー、バーベキューが楽しみで楽しみで仕方がなかったのに。
子供のころから『スタンド・バイ・ミー』が好きだった。映画で知ったが、小説を読んでより好きになった。作品の登場人物、クリス、バーン、テディ、コーディは友達だった。今でも本棚の良い位置にある。
『スタンド・バイ・ミー』は、少年たちが一夏の思い出に、死体があるという噂の場所まで、小さな冒険をする話だ。好きなのは、森の中で小さな火を囲みバーベキューをするところ。火を囲んで、他愛もない話をする。ちなみに、映画に出てくる有名なパイ食い大会での”復讐”の話は、小説では焚き火の前ではなく木陰に寝転がってコークを飲みながらである。
小説版の肉を木の棒に刺して焼く場面がいい。
焼くための棒に名前がついているのがおしゃれだし、生焼けでも食べてしまう感じが、少しお腹が心配だけどリアルだ。自分もいつか焚き火をして、肉を焼いて、パンに挟んで食べたいと思っていた。
なので、ボーイスカウトのキャンプでは、バーベキューで肉を焼くのがずっと楽しみだった。しかし、実際の献立はカレーだった。ナイフと飯盒を使ってカレーを作る。それぞれの子どもたちにナイフが配られた。ナイフの刃をじっとみるもの、剣のように構えるもの、切腹の真似事をするもの。
隊長が、大きな雷を落とした。
「ナイフは便利なものだけど、凶器にもなるから、しっかりと使い方をマスターしてください」
隊長がナイフの使い方を丁寧に説明する。握り方。力の入れ方。ナイフの種類や用途など。最後に、隊長はボーイスカウトの制服の袖を捲り、肘にできた傷を見せた。
「この傷は、私が君たちくらいの時、友人のナイフで遊んでいてできたものです。20年以上経ちますが残っています。少しズレていたら腕は動かなくなっていたかもしれません」
さっきまでふざけていた子どもたちも一気に真剣な顔になった。
料理は得意な方でカレーの作り方は知っていたが、ナイフでジャガイモやニンジンを切るのと、飯盒でご飯を炊くのが難しかった。完成間際に隊長が様子を見にきて、隠し味と言ってカレーの鍋に醤油が投入された。僕は和風なカレーにならないか心配した。
カレーは美味しかった。醤油の味はわからなかった。
夕食のあとは、楽しい楽しいキャンプファイヤーの時間だ。
移動すると、すでに本格的な井桁型に薪が組まれていた。隊長が、オイルの染み込んだ布が巻かれた太い棒に火をつける。子どもたちから「オー」の声が漏れる。燃えさかる棒を積み上げられた薪に近づけると一気に火が燃え移り、あっという間に炎が大きくなった。
ボーイスカウトの歌をひとしきり歌ったあと、隊長の口から衝撃的な一言が放たれる。
「皆さんに、一発芸を披露してもらいます」
さっきまでの盛り上がりは静寂に変わった。笑っているのは隊長のみだった。隊長が言うことは絶対だ。
順に一発芸を披露していく。余裕な顔でどこかで見たことあるギャクをするもの、全く聞いたことのないオリジナルの歌を歌うもの……。それを見ながら思考は停止していく。焦れば焦るほど、何も思いつかない。さながら処刑を待っている人のようだった。
自分の順番がきて、みんなの前に出る。焚き火の火が明るくて、周りの誰の顔も見えない。「ふえるわかめ〜」と、体をくねらせながら言った。そのまま反応も確認せずに、その場を離れて観客側に座った。ナイフで怪我をするよりも、大きな傷を負った気持ちだった。
今思えば、あの時の一発芸は『スタンド・バイ・ミー』で少年たちが死体を見たことよりもショックだったかもしれない。本棚でタイトルを見るたびに、このことを思い出すのだから。
著者プロフィール:
竹田信弥(たけだ・しんや)
東京生まれ。双子のライオン堂の店主。文芸誌『しししし』編集長。NPO法人ハッピーブックプロジェクト代表理事。著書に『めんどくさい本屋』(本の種出版)、共著に『これからの本屋』(書肆汽水域)、『まだまだ知らない 夢の本屋ガイド』(朝日出版社)、『街灯りとしての本屋』(雷鳥社)など。最新刊は、田中さんとの共著『読書会の教室――本がつなげる新たな出会い 参加・開催・運営の方法』(晶文社)。FM渋谷のラジオ「渋谷で読書会」MC。好きな作家は、J.D.サリンジャー。
田中 佳祐(たなか・ けいすけ)
東京生まれ。ライター。ボードゲームプロデューサー。NPO職員。たくさんの本を読むために、2013年から書店等で読書会を企画。編集に文芸誌『しししし』(双子のライオン堂)、著書に『街灯りとしての本屋』(雷鳥社)がある。出版社「クオン」のWEBページにて、竹田信弥と共に「韓国文学の読書トーク」を連載。好きな作家は、ミゲル・デ・セルバンテス。好きなボードゲームは、アグリコラ。
双子のライオン堂
2003年にインターネット書店として誕生。『ほんとの出合い』『100年残る本と本屋』をモットーに2013年4月、東京都文京区白山にて実店舗をオープン。2015年10月に現在の住所、東京都港区赤坂に移転。小説家をはじめ多彩な専門家による選書や出版業、ラジオ番組の配信など、さまざまな試みを続けている。
店舗住所 〒107-0052 東京都港区赤坂6-5-21
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公式HP https://liondo.jp/
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