17:入院15日目、退院日

点滴の針も刺さっていない、身体が自由な朝。相変わらず5時半に目が覚めてしまうサイクルは変わらないが、今朝は体調不良もなくトイレにも行った。

朝食を食べ終えて、共用洗面台で歯磨きを済ませてベッドに戻った。少し経つと、回診の時間。私の順番がやってきた。先生がニコニコ笑いながらベッドサイドまでやってくる。「この間の検査ね、非常に順調です。ちょっと傷も見せてごらん。」ベッドを起こして、頭の傷を診てもらう。「うん、綺麗だ。若いからね、綺麗に治るように、いっぱい縫ったんだよ。よし、今日抜糸して、帰っていいよ。」

?!?!?!

帰っていいそうです。術後ちょうど1週間、あまりに突然の退院許可です。若いってすごい。

「でも、今日平日だから、誰も迎えに来れなくて、夕方になっちゃうと思う」と言うと、構わないけど、退院時に説明があるからね、と言われた。

はて、これは参った。退院できるのは嬉しいが、突然すぎて困る。この時、ちょうど朝の9時。とりあえず、夫の携帯に電話した。ふだん、携帯を開いたまま仕事をする夫だが、今日は2回電話をかけても出ない。待てども折り返しすら来ない。

重ね重ね困った。第2の手段、実家の両親。とりあえず、母親に電話をかけた。こちらは驚くくらい早く出た。今日の午後退院が決まったこと、夫と連絡が取れないことを伝えた。実家では、退院したらしばらくは両親が私を引き取って、療養させる段取りでいたらしい。エアコンで冷やせる、1階の和室で。まだその部屋も片付けてないんだけど、早すぎない?と困惑気味だった。

しかし、夫と連絡が取れないなら、迎えにいくよ、一旦パパに連絡する、と電話を切られた。

私は実家に行く話なんて初めて聞いた。夫は少し前に、家で保険やらの書類を一緒に確認して欲しい、と言っていた。たぶんみんな話し合いもせずに各々計画を練っているんだろうな、と思った。

このまま平行線で時間が経ったらまずい、と思って、もう一度夫に電話をかけた。出ない。最終手段、夫の職場に電話をかけた。取り次いでもらい、やっと夫と話せた。何回も電話した件、連絡が取れないから実家に連絡して、親が退院説明を聞きにくる件を説明した。夫からは、仕事を早退して夕方5時に迎えにいく、と返事もらった。

すると母親から連絡が来て、両親揃って迎えに行く、と言われた。いや、迎えにいくと言われても、実家に帰る気はないし、もう夕方5時に夫が迎えに来られるようになった、と伝えた。

母親から、正直、こんな大事な時に連絡が取れない事態が起きることが信じられないし、仕事もしてる夫に面倒見させるのは不安。昼間1人の時に家で倒れたらどうするの?うちなら、夫婦2人順番で休みとって1ヶ月くらい24時間体制で面倒見られる。家事だってやらなくていい。絶対こっちのほうが安静にしていられる。保険の書類なんて、そんなすぐに目を通さなきゃいけないはずがないし、わざわざ2人でやる必要なくない?

と矢継ぎ早に意見を言われたが、私にそれを言われても困るし、もう頭がぐちゃぐちゃで分からない、夫と話しして、と言って切った。

倒れてからかなり思考能力が落ちているのは実感していたし、集中力もなかなか続かなくて、何かを考えるのが苦手になっていた。どこに退院しても誰かしらに迷惑をかけるんだな、と思って、だんだん退院したくなくなってきた。イライラした。

しかし、退院することは決まっているから、ベッドに戻って荷物を片付け始めた。洗濯物とウィッグのカタログ、イヤホンや名前ペンをまとめて、借りていたおりしふきを返した。生理中なのにお風呂に入れないし、ウォシュレットは汚い気がして使えなかったから、余ったら返すという約束で袋ごと借りていたのだ。

だんだん冷静になってきて、帰りの服が無いことに気がついた。夫に服と帽子を持ってくるようにLINEして、ひと段落ついてウトウトし始めた。

すると、廊下がなんだか騒がしい。患者が増えるらしく、大掛かりな引っ越しが始まっているようだった。この部屋にも、人が増えるらしい。「ごめんねゆうなちゃん、眠いのに騒がしくって!」と言いながら、看護師さんたちが部屋の空きベッドを廊下に出している。空いた2カ所間に、廊下の向かいの高齢女性2人が引っ越してきた。相変わらず仲良しで、引っ越し中も絶え間なく喋っている。

引っ越してきた2人のうち、1人は洗面台で少し話したことがあった。もう1人は1度も顔を合わせたことが無い人で、その人がギョッとした顔でこちらを見た。「あなたはどうしたの?」脳梗塞の手術したの「だって若いでしょ?いくつ?」26歳に一昨日なった、と、お決まりの会話をして、でもこれから抜糸して今日帰るの、と付け加えた。

しばらくすると、昼食の時間。最後の食事は、そうめんと天ぷら。ただし、私は刻み食だから、2センチくらいに切ってあるそうめん。こんなの人生で初めて。しかも、つゆと麺が分かれているから、麺をつゆに浸すとハラハラと箸から崩れ落ちていく。これは流石に笑ってしまった。

つけ用のつゆだから、麺にかけるにはしょっぱい。つゆに沈んだ麺を拾うのも一苦労。悩んだ挙句、天ぷらをつゆに浸して、それを麺の皿にバウンドさせて食べることにした。食べ切るのにかなり時間がかかった。

食事が終わると、先生と看護師さんがやってきた。抜糸の時間だ。こんなみちみちに縫ってあるのに、どうやって全部抜くんだろう、痛いだろうな、とドキドキしていた。「ここが忘れやすいからね、まずはここから。」と言って、左眉の上の1箇所にハサミを入れた。パチン!と鳴ってから、看護師さんがステープラを抜き取ったが、痛くない。あれ?痛くない、と言ったら、「こんなの子どもでも我慢できるんだから痛くないよ」と先生が笑っていた。

その後、左前頭葉にも1箇所あるステープラを抜いて、いよいよ右側の抜糸。パチンパチンと、どんどん切っていく。抜糸自体は全く痛くなく、むしろハサミをねじ込む瞬間のほうが痛い。20本くらい抜いただろうか、「はい、あとちょっとだよ、5、4、3、2、1、はい終わりー」と、最後はカウントダウンをしながらパチンパチンしてくれた。

傷も開く様子がなく、しっかりくっついている。これで入院中の全ての治療が終わった。「じゃあ、5時ね」と言って、先生は颯爽と去っていった。その後私と看護師さんは、ベッド上に散らばったステープラの破片を2人で必死に拾った。全部拾わないと危ない。踏めば刺さる。入念に探した。

ずっと怖かった抜糸が終わって一息ついていると、いつもの作業療法士さんがやってきた。聞けば、私の退院を知らなかったらしい。5時に退院だけど、それまでに終わる?と確認し、終わると言うのでリハビリ室に行った。簡単な筋トレをした後、初めてのリハビリでやった、数字を繋げるあれを最後にやってみた。

数字だけのパターンも、数字とひらがなのパターンも、両方ともギリギリ20代の平均タイムに入った。嬉しかった。前回のように、2桁の数字が見つけづらいこともなく、順調にできた。気分良く病室に戻ると、「もし、日常生活で動きづらかったり困ったことがあったら、外来受診の時に言ってくださいね、対応します。退院おめでとうございます。」と優しい挨拶をもらった。もうすぐ5時だ。

呼ばれるのを待っていると、もともとの同室女性がヘルニア手術から帰ってきた。麻酔が切れたばかりで、酸素をつけて、つらそうにしている。するとすぐに、私の迎えが来た。まずは夫から服を受け取って、ベッドで着替える。ちょうど仲良しのおばあちゃんがリハビリ病棟から遊びに来ていて、退院を喜んでくれた。

着替え終わってカーテンを開けると、今日引っ越してきた2人が、「退院ね、おめでとう!帽子も似合ってる、綺麗よー!」と褒めてくれた。すると、窓際のカーテンの向こうから、「ごとうちゃん、私にも見せて」と小さい声が聞こえた。カーテンを少し開けて、モニターやらを避けながら手術直後の同室女性に顔を見せて、最後の挨拶をした。

ではみなさん、お先でーす!と部屋を出て、ナースステーションで両親、夫と退院説明を聞く。

半年間は運転も仕事もダメ。痙攣止めの薬をしばらく飲むけど、量が合わないと痙攣が起きることがある。その時はすぐに病院に来ること。これからは梅雨が明けて暑くなるから、特に痙攣が起こりやすくなる。たくさん水分をとって、激しい運動はダメ。

と、退院後の注意を聞いて、いよいよ退院の時。看護師さんたちにお礼を言って、次回外来までの薬を受け取り、エレベーターを降りて外の世界へ。

私の入院生活はやっと終わった。



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