あなたの人生の物語 ※ネタバレ注意
テッド・チャン
映画「メッセージ」の原作。
感動した!
「人生とは何か?」「なぜ生きるのか?」という人生最大の疑問へのひとつの答えになり得る。
物語は、突如世界各地に現れた謎の物体を通じて宇宙人との意志疎通を図る本筋の部分と、主人公ルイーズとその娘の思い出を描いたような部分が交互に織り込まれる構成。
頻繁に挿し込まれる娘との思い出の部分は、全く時間軸がバラバラで一見本筋とは関係なさそうで最初は「???」という感じだが、物語の真相が明らかになるにつれて、その「バラバラさ」の意味が身に染みてくる。
「へえ、お話がどう進むかがとうにわかってるんだったら、なぜわたしが読んであげなきゃいけないのかしら?」
「だって、聞きたいんだもん!」
ルイーズと娘との、この会話こそ、この物語の根底にあるテーマをよく表していると思う。
言語学者である主人公ルイーズは物理学者とペアになって、謎の物体を通じて宇宙人(それら)と意志疎通を図るように指示を受ける。
謎の物体はディスプレイになっていて、向こう側の部屋にいる宇宙人「ヘプタポッド」と対話を試みる。
ヘプタポッドは発話言語ヘプタポッドAと表義文字ヘプタポッドBを使って意思を伝え、ルイーズ達はその言語を分析し、ヘプタポッドの言わんとする事を知ろうとする。
言語学の方法論を駆使して謎の宇宙人の言葉を解明しようとする試みは、作者の言語学への深い知識と憧憬が垣間見え、科学的かつリアルなアプローチで面白い。
特に重要なのは表義文字ヘプタポッドB。
一見無数の線が絡み合った鳥の巣のように見えるその文字は、一文字で途方もなく多くの情報を一度に伝える事ができるというもの。(ルイーズはそれを「一時停止」などの道路標識のようなものと例えている。)
人類の言語は語順に一定のルールを持たせて単語を配置して文章を構成する。
一方ヘプタポッドBは一筆一筆が文字の全体に渡って複数の意味を包含しており、一筆目を書いている時点でヘプタポッドは膨大な量の情報全てをすでに一文字に構成し終わっているということ。
自分で書いててよくわからんくなってきたので、細かいとこは実際に読んでほしいのだが…何が言いたいかというと、この言語の違いこそが人類とヘプタポッドとの「世界(時間)の捉え方」の違いそのものということだ!
・人類→語順がある=世界は時間が流れる一方向に不可逆的に進んでいる(因果論)
・ヘプタポッド→語順が無い=過去も未来も同じ重みを持って、同時に存在する
このヘプタポッドの言語を習得していくうちに、ルイーズの世界の捉え方も変わっていく。
英語を学ぶとだんだん頭の中の思考も英語の語順に影響されていくように、ルイーズはヘプタポッドBを学ぶにつれて、過去も未来も同時に存在するように感じ始める…というより、未来が見えるようになっていく。
そう、娘との「思い出」だと思って読者が見せられていた部分は、「未来にこれから起こる事」だったのだ!
実は今現在ルイーズには子供が生まれておらず、今回の調査で知り合った物理学者との間に子を授かることになる。
ヘプタポッドBを習得することで、ルイーズは未来を見通せるようになり、自分がこれから娘を産み育てる事、その娘が二十五歳の若さで命を失う事を知る。
よくあるSFなら、自由意思によって未来を変えようとするだろう。それはあまりにも悲しい未来だから。
しかし、ルイーズはそれをしない。ヘプタポッド達もしない。
なぜなのか?
そう、それこそが、人生を「なぜ生きるのか?」という問いにつながる。
ルイーズは娘が死ぬ事も知っているが、娘を産み育てる中で感じる喜びも、同じように知る。
娘が死ぬ未来を変えようとするなら、そもそも愛する娘に会う事さえできない。共に幸せな日々を過ごす事ができないのだ。
未来を変えようとする試みは、まさに人類の一方向的な時間の捉え方から生まれるもの。人生は未来に向かって右肩上がりにより良くなっていくべき、という考え方は、我々人類(特に資本主義社会)にとっては当然のように思考に刷り込まれている。
しかし、ヘプタポッドの世界観は違う。
彼らにとっては過去も未来も全く同じように大切だ。すでに自明の未来を辿る、というとまるで操り人形のようだが、それは過去も未来も同じように愛すればこそ、可能になるんだと思う。ルイーズがそうしたように。
俺も、そういう風に生きたいなあ。
余談だけど、フェルマーの原理ってすごいね。
現実に、光って、未来が見えてるのかな?
▼フェルマーの原理
光線が空気にある点Aから水中にある点Bに届く時、光線は必ず最短時間になる経路を通るという原理。
水中をどのくらい進むと遅くなるのか、とか、事前に点Bに行ってみないとわからないはずの経路を必ず通るようになっている=光には未来が見えているのでは?