「さよなら絵梨」感想 ※ネタバレ注意
さよなら絵梨
「ファイアパンチ」、「チェンソーマン」、「ルックバック」と話題作、問題作を次々と生み出す藤本タツキの最新読み切り200ページ。ジャンプ+で無料で見れる。
あらすじ↓
12歳の誕生日から、母親が病気で死ぬまでを撮影し続けた主人公。それを編集して文化祭で上映した映画は、真面目なドキュメンタリーかと思いきや最後の最後で爆発エンドになるクソ映画だった。
みんなに馬鹿にされ自殺しようと屋上に向かう主人公は、謎の美少女絵梨と出会うのだった…。
絵梨は主人公の映画監督としての才能を評価し、次回作でみんなを見返すための特訓を始める。
特訓を通じて次第に恋仲になっていく2人だが、絵梨は不治の病に倒れるのだった…。
感想↓
最後まで飽きずに観られたけど、率直にすごく楽しめたわけではなかった。…というか、エンターテイメントとしての期待が大きかった分、そのあまりに斬新な切り口に、肩透かしを食らった感があるのかもしれない。少なくとも、藤本タツキの今までの作品の中では突出して取っ付きにくい。
ただ、藤本タツキのことだから、奥深くに本編では明かされなかった何かがもっと潜んでいそうな気はする。そしてそれがわかったら、もっと楽しめそうな予感がするので、考察してみる。
俺が思うに、絵梨は藤本タツキ自身の創作意欲の象徴なんじゃないだろうか。つまり、主人公のもう一つの姿である。
絵梨が藤本タツキ=主人公の創作意欲だと考える理由↓
①吸血鬼として永遠に死と再生を繰り返す。
→失ってはまた再燃を繰り返す創作への意欲を象徴。絵梨が一旦いなくなっていた時期は、主人公が社会人になって日常に追われ、創作意欲を失っていた時期と合致する。絵梨と再会した後の爆発は、再び創作ができた事を意味する。(主人公はどこか誇らしげだ。)
②創作のためにすべき事を色々と指図してくる。
→藤本タツキ自身のストイックさを象徴。絵梨によるハリウッド創作論になぞらえた創作トレーニングは、恐らく藤本タツキ自身も実践してたんだろう。つまり、絵梨の指図は自分自身の心の声。
③全編通して主人公の視点からしか描かれていない(神の視点で他の登場人物が描かれない)
→描かれているのは全て主人公の心の中で作り出した架空の存在である可能性。俺らが絵梨だと思っている存在自体が創作である可能性もある。
そう考えてくと、その他の登場人物全員(主人公の家族や同級生達)も本当にその存在なのか?というのも怪しい。。
最後の大人になった主人公は、もしかしたら主人公の親父が演じていて、実際は主人公はまだ高校生くらいのまま、絵梨も元々普通に生きていた頃に撮影した可能性もあるのかな、とも思ったけど…流石にそこまで行くとあれか…物語として、どこまで信じればいいかわからんくなるか?
いや藤本タツキの狙いはそこかもしれない。。
物語への思い込みに対する挑戦というか、リテラシーへの挑戦というか…
少なくとも、何も考えずに楽しめる単純なエンターテイメント作品でない事は確かだ。
俺達は、藤本タツキに試されているような気がする。
今後も新作が楽しみな作家である。