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アストリット・キルヒヘアへの想い 中編

今回は、前回に続き、先日他界されたアストリット・キルヒヘアへの想いを、小松成美が綴った追悼文を掲載いたします。

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断られ続けた手紙

彼女に手紙を書いて、その同じ数だけ「断り」の返事を受け取った。

後に引かない私に苛立ったアストリットが、手紙に「クレイジーよ」と書いたこともあった。
しかし、私はまったくへこたれなかった。

中学生レベルの構文で、インタビューを依頼する手紙を書きながら、私は信じ込んでいた。思いは必ず通じる、と。

若きビートルズの肖像を、彼らのきらめく魂の光りを、モノクロームの写真に残したアストリット。
革ジャンにリーゼントスタイルだったビートルズにネクタイとジャケットというファッションや教え、マッシュルームカットを授けたアストリット。
やがてビートルズから脱退し、ハンブルグの美術学校で絵を学びながら才能を開花させたスチュワートを21歳の若さで失ったアストリット。
20世紀最大のロックバンドの誕生を助け、最愛の人を失い、「ビートルズが最も愛した女」と呼ばれたアストリット。

彼女の人生を本にしたい、人生に1冊だけでいいから単行本を書き、彼女の美しさと波瀾万丈という言葉では足りないほどの人生を読者に届けたい、と一途に思った私に、またアストリットから返事が届く。

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《春のハンブルグにいらっしゃい。私が知っているビートルズを、あなたに話す覚悟をしたわ。》

願いが通じた瞬間だった。

日本ではまったく知られていないアストリットの半生とビートルズとの友情4年近くの時間をかけ綴ることになった。

アストリットとビートルズ

ハンブルグに飛んでいった私に彼女はこう言った。
「長い話になるわよ」

私は、頷いた。
「ええ、喜んで。そのために全ての仕事を打ち切ってここにいるのですから」

日本から突如にやってきた私にアストリットは、こう言った。
「日本人の、それも親子ほど年の違うあなたに私の人生が理解できるかしら……。それに、生涯誰にも話さずにいようと思ったビートルズやスチュワートのことを言葉にすることは、とても勇気のいることよ。それを分かって欲しいの」

私は感謝を込めて頷いた。

ハンブルクの真珠とも呼ばれるアルスター湖の辺に立つ美しいホテルの一室でのインタビューは、私にとって至福の時間だった。

目前のアストリットはビートルズと出会った頃と同じ髪型、同じ服装だった。アッシュグレーに近い金髪のショートヘアと黒いセーター姿で現れた彼女を観て、ビートルズのメンバーがどんなに華やいだ気持ちになっただとうと想像し、少し笑った。
静かな表情のアストリットも微笑んで、インタビューはスタートした。

アストリットとビートルズの出会いは1960年。

ハンブルグの美術学校写真科に通うアストリットとイギリスのリバプールからやって来たロックバンドとのメンバーとは、何一つ共通点がなかった。

「でも、そんなこと何も問題ではなかったの。彼らはただ魅力的で、小さなステージの上で眩しいほどの光りを放っていたわ」

1960年、ハンブルグのナイトクラブで演奏するためにドイツに滞在していたデビュー前のビートルズ。
そのステージを観た彼女は、鮮烈で、荒々しく、けれどキュートでハンサムなバンドの魅力に抗うことが出来なかった。

 1962年に「ラブ・ミー・ドゥー」でメジャーデビューしたビートルズは、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの4人だが、スターになる前、ドイツの港町でステージに立っていた彼らは5人組だった。

 リバプールの美術学校でジョンの同級生だったスチュワート・サトクリフが参加していたし、ドラムはピート・ベスト。

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 ジョンの同級生だったスチュワートは、ギターがまるで下手だった。それもそのはず、ジョンがそのルックスにだけ目を付けて親友のスチュワートをビートルズに入れてしまったのだ。

 当時から演奏でも歌でも作曲でもその才能を惜しまず発揮していたポールは、スチュワートの演奏が気に入らなかった。

 まだ10代のジョージ・ハリスンは、まだ少年のようでアストリットを頼り、その笑顔で彼女を魅了した。ジョージは一人っ子のアストリットにとって本当の弟のような存在だった。

ビートルズ、世界へ

 インタビューの最中、彼女が一枚の写真を差し出した。私が最も好きなアストリットの写真だ。
 それは1960年の晩秋、ドイツ・ハンブルグの移動遊園地の一角で撮影された一枚。私がその写真の撮影について聞くと、彼女は楽しげに話し出した。

「まだ会って数回目に、彼らの写真を撮ってあげることになったの。5人はリーゼントスタイルで革ジャンやジャケットをはおり、ギターやベースを大切そうに抱えていた。私は英語がまったく出来なくて、身振り手振りで、構図を決めたの。すっかり時間がかかってしまったけど、彼らは文句一つ言わず、カメラの前で辛抱強く最後までポーズを取っていたわ」

 そこに写るヤングビートルズには、未来に不安を抱き、日々の貧しさと闘いながらもロックに情熱を傾ける彼らの姿がある。

右端に写っているサングラスをかけたスチュワート。
デビュー前の凛々しく挑戦的なジョンやポールの顔立ちと、スチュワートの神秘的な表情は、後に語られるストーリーを知らなくても、強烈に人々を惹きつける。

アストリットは少し頬を紅潮させ、私にこう告げた。

「ジョンとポールとジョージ、そしてドラムのピートは、プロになるチャンスをつかもうと1960年10月から数ヶ月、ハンブルグの歓楽街レーパーバーンにあるいくつもの酒場のステージに立っていたの。友人のクラウス・フォアマンの誘いで出向いたバーでビートルズのステージを見た時、私は、一瞬で彼らの才能に気付いたわ。何十、何百あるバンドとは違う、彼らは必ず、イギリスやドイツや、やがて世界中の人々を虜にするに違いない、と」

「エルビス・プレスリーを超えるスターになってみせる」

ジョンは野心を隠さず、アストリットに声高に告げたそうだ。

ビートルズを離れ、ハンブルグ美術大学に入学したスチュワートはアストリットと婚約し彼女の家で暮らした。
ビートルズは、62年にドラムをリンゴ・スターに代え、メジャーデビューを果たすのだ。

スチュワートとの離別

想像を絶する速度で人気の頂点に登りつめていったビートルズに、アストリットが与えた影響は計り知れない。
「ビートルズカット」と呼ばれる髪型を彼らにもたらしたのも、デビュー当時、爆発的な人気を得た襟なしのジャケットを考案したもの彼女。
外見ばかりでなく、アストリットはビートルズの知的好奇心を爆発させた。実際に、学び機会も与えていたのだ。

ハンブルグに滞在した頃、ビートルズのメンバーは彼女の家に自由に出入りし、書斎や居間にあるステレオを自由に使い、文学やクラッシック音楽に、そこで触れていった。
それらはソングライターであるジョンやポールのイマジネーションの土台となっていくのである。

強く頑なで真のリーダーだったジョン。愛らしい顔立ちのジョージ。ハンサムでユーモアに溢れたポール。愛し合ったスチュワートとビートルズのメンバーを被写体に、いくつかの作品を制作した彼女は、幸福をその手にして、プロの写真家への道を歩むかに見えた。

だが、婚約したスチュワートか21歳で逝った後の彼女の人生は、嵐に翻弄される小さなヨットのようで、時に涙を禁じ得なかった。

デビューを目前にするビートルズに輝かしい未来が見え始めた62年4月、前途ある芸術家として才能の片鱗を見せたスチュワートは、原因不明の脳内出血で夭逝する。

間もなく結婚することが決まっていた2人は、その死によって永遠に引き裂かれた。悲しみに暮れるアストリットのいる環境は変化していく。

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 アストリットは、当時をこんな言葉で語ってくれた。
「スチュワートを失った私は、抜け殻だった。生きているのか死んでいるのかさえ、分からないほどで、食べることも眠ることもできなくなってしまったの。そんな私を励まし、支えてくれたのは、ジョンとポールとジョージよ」

 ジョージは、アストリットに抱きついて一緒に涙した。ポールはその傍らに立ち、彼女の頭を撫でてくれた。

 親友を失い、悲しみの縁に立っていたジョンは、スチュワートの不在に怒りを抱きながら、アストリットに向き合ってくれたという。

「ジョンは、泣いてだけいる私を怒鳴りつけたわ。立ち上がれアストリット、生きなきゃダメだ、スチュのためにも生きるんだ、と言って、私を奮い立たせようと必死だった。ジョンの強い言葉がなければ、私はきっと生きていけなかった」

スターになった代償

 アストリットとビートルズの友情はずっと変わらないはずだった。スチュワートを失ったという悲しみを分かち合える唯一の友は、生涯、心を通わせるはずだった。

 しかし、ビートルズが瞬く間に世界を一変させるほどのポップスターになると、アストリットはスキャンダルの渦中の置かれてしまう。

 アストリットは、月日が過ぎてもその時の恐怖に体が震えてしまうと言って私を見た。

「私たちは何も変わらなかった。でも、周りが一変したのよ。私は『ビートルズの愛人』『金目当ての取り巻き女』と、噂され、指をさされるの。世界中からの非難が、私に届いたのよ」

 悲しそうに目を伏せたアストリット。何かを思い出したのか、少し沈黙し、こう続けた。

「私は深く傷ついてしまった。『ビートルズを撮影した女』とだけ呼ばれることに耐えられなくなり、写真も捨ててしまった。そして、ビートルズのみんなとも会うことをやめ、距離を置いたのよ」
つづく

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アストリット・キルヒヘアへの想い 前編
アストリット・キルヒヘアへの想い 中編
アストリット・キルヒヘアへの想い 後編

(※本コンテンツの無断転載を禁じます。著作権は小松成美に帰属します)

 

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