将棋界の頂点・羽生善治 波受け入れ戦い続ける
このマガジンでは、小松成美が様々な人に取材した、北國新聞の連載「情熱取材ノート」の過去のアーカイブを掲載いたします。
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10月4日に行われた「第64期王座戦5番勝負」第3局。対した糸谷哲郎八段を3連勝で下し、タイトル5連覇を成し遂げた羽生善治棋士。現在、王座、王位、棋聖の3冠を持つ羽生は、15歳のプロデビューから46歳になった現在まで「希代の天才棋士」の名称を手放したことがない。
1996年には将棋界初の7タイトル(竜王・名人・棋聖・王位・王座・棋王・王将)独占という快挙を達成し、世界最高の頭脳と勝負師としての強さを証明した彼は、飄々(ひょうひょう)と将棋界の頂点に立ち続けている。
たった一人で盤に向き合う羽生は日々勝負に挑み、30年もの間、王者であるための歩みを止めなかった。
異次元の存在である羽生に、雑誌のインタビューで会うことになった。将棋盤に駒を並べることしかできないインタビュアーの私に、彼は穏やかな表情を浮かべ、例え話を交えながらその胸の内を語ってくれた。
「マラソン」
プロ棋士としての日常とはどのようなものなのか。緊張や高揚感が襲い来る日々を問い掛けると、彼はこう解説してくれた。
「プロ棋士の生活はマラソンに似ています。対局を重ねることは、ランナーが1キロごとにラップを刻んでいくことと同じです。スタートを切ったランナーが短距離選手のような走りをしては息が続かないし、一気に42・195キロ先のゴールに思いを馳(は)せても果てしのない気持ちになるだけ。1キロ、1キロ、ベストを尽くす。良いペースならそれを保ち、悪いタイムなら挽回しようと気持ちを強くするのです」
絶対王者であった羽生も、ここ数年は台頭する若手棋士に敗れることも少なくなかった。ある変化があった、と羽生は言った。
「若い頃は極限状態だからこそ力を発揮できると思っていました。けれど、今は自分を追い詰めすぎないことが大切だと感じています。勝負には勝ち負けがあり、つまり良いときと悪いときがある。その波があることが自然なのだと受け入れたのです」
なぜ受け入れるのかと言えば、この先もプロ棋士として戦い続ける覚悟を持っているからだ。
「気力体力の続く限り対局に臨みたい。プロ最年長の加藤一二三先生の年齢まであと30年ありますから」
中学生でプロになった羽生は、大正生まれの大山康晴十五世名人とも対戦している。最近では、平成生まれの棋士との対局の機会も増えた。
「私の子供と言える世代との対局は新鮮で面白いですし、もちろん驚くこともたくさんあります」
自らの思考にはない指し手・展開を盤に見たときの心境を話す羽生は、ユーモラスな表情を浮かべた。
言葉のよう
「将棋は世代によって違います。私はそれを『時代とともに変化する言葉のようだな』と思っているんですよ。若い世代の指し手は、私たちが決して使わない言葉のようなもの。高校生なら普通にスマホの中で飛び交っている言葉でも、私には分からない。けれど、外国語ではないですから何度も聞き、前後の文脈を知れば、その言葉の意味を理解し、また真似(まね)て使うこともできる。世代の違う棋士との対局をそんなふうに捉え、楽しんでいます」
羽生は将棋に魅せられた理由をこう述べた。
「世の中には正しくても負ける、という理不尽なことがありますね。しかし、将棋の世界にはそれがありません。負けたときには絶対に己に非があるんです」
自分が犯した過ちと向き合い、それを正していくことでしか次の勝利はつかめない。
「苦しいけれど、だからこそやりがいがあります」
メガネの奥の瞳が煌(きら)めいた。
(※このテキストは、北國新聞の「情熱取材ノート」において過去に連載したものです※本コンテンツの無断転載を禁じます。著作権は小松成美に帰属します)