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アストリット・キルヒヘアへの想い 前編
今回の記事は、小松成美が1995年に上梓した「アストリット・Kの存在 ビートルズが愛した女」の主人公であるアストリット・キルヒヘアが、5月13日に他界されたことを受けた追悼文です。ご一読ください。
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2020年5月13日、私が愛して止まない人が亡くなった。
81歳の生涯を閉じたその人は、ドイツのハンブルグに暮らす女性で、名前をアストリット・キルヒヘアといった。
若い時代に写真家だった彼女は、その被写体の存在とともに世界的名な名声を得るようになる。
そう、彼女は「ビートルズ」を最初に撮った写真家だった。
掛け替えのないその人の訃報をBBCのニュースで知った私は、その日から少しぼんやりとして、アストリットと過ごした日々を思い返した。
彼女の作品と、まだデジタル写真がなかったころに撮った紙焼きの記念写真を交互に眺めながら、たどたどしい英語で交わした会話を蘇らせていた。
私の作品をくまなく読んでくれたファンの方なら、アストリットのことを、そして彼女と私の友情を、少し知っているかもしれない。
アストリットという存在
きっかけは、アストリットが撮影したセルフポートレートやデビュー前のビートルズの写真に出会ったこと。
OLからライターに転身し、アスリートを題材にスポーツ誌「Number」などに記事を書いていた私は、ある日、女性誌から、“もう一人のビートルズ”と呼ばれたスチュワート・サトクリフと彼の恋人だったアストリット・キルヒヘアを主役にした映画「バック・ビート」の取材の依頼を受けた。
ロンドンの劇場で試写会を観て監督のイアン・ソフトリーにインタビューし、リバプールへ行ってスチュワートの妹ポーリーンに会い、彼のお墓参りをする、という、ビートルズファンにとっては垂涎の取材を満喫しながらで、私は「これだけでは終われない」と考えていた。
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ハンブルグで暮らしているアストリットに会いたい。彼女の話を聞き、彼女とビートルズのことを本にしたい。
ショートヘアの美しいアストリットと、ジェームス・ディーンを思わせるクールなスチュワートのツーショット写真に、見とれてため息をついた私は、途方もない夢を思い描いてしまった。
一面識もない、母親とほぼ同い年のドイツ人女性にインタビューを申し込んで、30年以上も前の話を聞くなんて、とんでもなく困難なこと。当時の私はキャリアの浅い雑誌ライターで、書籍執筆など、夢のまた夢だった。
けれど、私は無謀な夢に向かって突き進んだ。
映画「バック・ビート」の制作・配給会社の社長に頼み、アストリット宛ての手紙を渡してもらった。何度断られても、繰り返し手紙を書いて、インタビューを懇願する。
諦めなかった理由はなんなのか。
今思えば、あの頃の私は、作家という仕事に畏怖を抱き、挑みたかったのだと思う。本の読み手から書き手になるという挑戦は、どんなにか大変なことだと想像はついたけれど、「書く仕事」に就いた限りは、いつか書籍のための文章を綴れる人になりたい、と思っていた。
書きたいと願った本のテーマが「ビートルズ」であったことも大きい。私は9歳の頃にビートルズに恋して、以後、彼らの楽曲を人生のBGMに生きてきたのだから。
ビートルズと私
話は半世紀も前に遡る。
9歳の誕生日。私は父に真っ白なYAMAHAのステレオを買ってもらった。
ステレオが届いた日、貯金箱からお金を取り出して、町の小さなレコード屋へと走っていった。ステレオで聴くLPレコードを買うためだ。
それまでアニメソングや、児童合唱のシングルレコードしか買ったことがなかった私は、初めてLPレコードを買おうと決めていた、それも洋楽を。
洋楽と書かれたボックスケースの前に立ち、レコードジャケットをパタパタと送りながら眺めていく。すると一枚のジャケ写が目に飛び込んできた。ネクタイをしてジャケットを着た若者バンド。そのモノクロの写真と、左端の帯にある緑色のリンゴに視線が止まって、動かなくなった。
これだっ!!
書かれている英語はまったく読めない。でも、写真に写る青年たちの佇まいと「ビートルズがやってくるヤア!ヤア!ヤア!」という奇妙な日本語のタイトルが「なんだかクリスマスみたいで面白い」と思っていた。
直感買いしたLPを抱え、走って戻って、運動靴が玄関の外に飛び出るくらい勢いよく家に駆け上がって、ステレオの前に立つ。
ジャケットから取り出したレコードを鼻先に付けて匂いを吸い込み、ターンテーブルにセットし、針を乗せた。その刹那・・・・・・
ジャジャーーーーーーンッ!!!
左右のスピーカーから流れ出た「ア・ハード・デイズ・ナイト (邦題:ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!)」の曲の出だしのギターに全身が金縛りになって、続く英語の歌声とドラムに背筋がゾクゾクとした。
9歳の子どもの心臓は、完全に射貫かれてしまった。
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運命の出会いを企画に
その日からビートルズは私のアイドルに。そして、今日まで彼ら以上の憧れは現れなかった。
ティーンエイジャーとなった私は、すでに解散していなくなっていたビートルズを追い掛けてレコードを集め、彼らの生い立ちも、英語の歌詞に綴られた世界も、そのファッションも、時に伝えられるスキャンダルも、全部全部受け止めて、ビートルズは私の人生の一部になっていた。
OLからライターになった時にも、変わらずビートルズは私の心の一部を占めていたが、あまりに好きすぎて、彼らや彼らに関する事柄を「書く」という気持ちは起こらなかった。
ビートルズファンだった私の心に火を付けたもう一人のビートルズ スチュワート・サトクリフと、彼の恋人であり若きビートルズを写真に収めたアストリット・キルヒヘア。
これもう運命だよ。
アストリットに会い、彼女とビートルズの物語を一冊の書籍にする。私は生涯に一冊でいいから、この本を書き上げる、だって運命だもん、と何百回も呟いて、走り出した。書籍を執筆する、という夢を実現するため出版社に企画を持ち込んだ。
私の途方もない夢を後押ししてくれる編集者がいて、人生最初の本を書くチャンスの道が開ける。
残された関門は、アストリットがインタビューを許してくれるかどうか、だった。
(つづく)
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・アストリット・キルヒヘアへの想い 前編
・アストリット・キルヒヘアへの想い 中編
・アストリット・キルヒヘアへの想い 後編
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